大川端だより(445)

  
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事業仕分けで『特会』をどこまで解明できるか?」


民主党・菅政権が今年の10月に特別会計(略称「特会」)について事業仕分
けをすることに決めた。行政刷新会議では、無駄が多くて事業内容や資金の流
れが分かりにくい、と各方面から批判の多い特会について、廃止を含め抜本的
に見直す方針を決めた。


朝日新聞のインターネット配信記事によると、その骨子は下記の通りである。
1.特会事業を検証し、無駄排除と資金有効活用をめざす。
2.現在ある18の特別会計について、改革視点として下記3点を重視。
(a)社会経済情勢の変化をふまえて今後、国として実施する必要があるか?
(b)国として行う事業でも区分経理が不可欠か?
(c)特定財源として維持する必要性の検証を行う。
3.そして、各省庁で概算要求段階から総点検し、2011年度予算に反映する。
これらは大いに注目すべき動きである。


▼ご存じの通り、日本国の予算には一般会計と特別会計がある。2010年度の予
算額で言えば、その歳出規模は、一般会計の92.3兆円に対して、特別会計は、
176.4兆円にもなる。つまり、特別会計は一般会計の2倍近くもあり、両方合
計すると、270兆円近い予算規模なのに、新聞やテレビの一般的な報道では特
別会計については無視……というか、ほぼ“触らぬ神に祟りなし”状態である。


▼だからぼくらは、「日本の国家予算は、今まで80兆円規模だったのが、今度
は90兆を超えた!」などと、さもびっくりしたようなことを言ったりして、特
会がその2倍近くもあることに関しては不問に伏すことが多い。では、そもそ
も一般会計と特別会計の違いはどこにあるのだろうか。


▼一般会計というのは、国が一般行政(福祉、教育、軍事等々)を行なうため
の主な経費を賄う会計であり、税金や国債発行による収入などを財源としてい
る。国の財政はもともと一つの会計で処理(予算の単一主義)すべきなのだが、「現状では、予算全体を単一のものとして処理するには複雑過ぎる」という官僚的見地から、特別な事業や資金運用は特別会計として別個に処理している。


▼一般会計の場合は、財務省で予算の詳細な査定がなされ、国会での審議が行
われる。財務省が査定した予算(社会保障費や教育費、防衛費等々)について
国会で活発に審議して可決されるが、特会は一般会計のように財務省や国会の
詳細なチェックが入らず、特定の事業や資金を運用するなどの目的で予算化さ
れ、資金が集められる。また、歳出に関しては所管している省庁のほぼ独断で
決定できるようになっている。


▼そして実は、特別会計が財源配分の硬直化や官僚による無駄遣いの温床にな
っている場合が多い。2003年に当時の塩川財務大臣が「母屋(一般会計)では
おかゆ食っておるのに、離れ(特別会計)で子どもがすき焼き食っておる」と、国会答弁したのはこのことを言っているのである。


▼特会の歳入は、独自資金、一般会計からの繰り入れ、民間からの借金で構成
されている。具体的には、国民と企業が支払う雇用保険料、健康保険料、年金
保険料、高速道路料金、登記印紙料等々だが、これらの巨額の収入が官僚や族
議員の利権の温床になっていると言われている。いわば特会全体がブラックボ
ックス化しているのである。


▼厚生保険特別会計国民年金特別会計についてはすでに問題化しており、グ
リーンピアなど無駄なハコモノ建設に資金投入したり、特殊法人に天下った官
僚たちの高額報酬の財源となっていることが判明。多くの国民の怒りをかった
ことは記憶に新しいところである。一般市民は、決して裕福ではない家計のな
かから、将来の健康不安や年金のためと思ってやりくりして支払っていたお金
がそんなことに使われていたことを知って、憤りを通り越してあきれ果ててし
まった国民も多かったはずだ。


▼ではなぜ、日本においてこのような官僚の非理非道がまかり通るのだろう?
そこには古来、官僚たちに言い伝えられてきた論語の一節があったと考えられ
る。「子曰、民可使由之、不可使知之」、これを読み下すと「子曰わく、民は
これに由らしむべし。これを知らしむべからず」となる。この言葉を徳川家康
が民衆支配の要諦としたと言われており、明治以降の近代的官僚機構もそれを
受け継いでいるというのである。


▼「由る」は「頼る」の意味である。これは、政治権力が民衆を統治するさい
の基本姿勢を説いた文言とされ、本来的な意味は、「孔子様はおっしゃいまし
た。民衆をして政治権力に頼らせることは容易だろうが、その政策の本当の意
図を理解してもらうのは難しい」ということである。しかし、「可能」もしく
は「推察」を意味する「べし」を曲解して「命令」または「当然」の意味に取
り、その結果「愚民は政治権力に頼らせるべきで、権力の意向や政策について
知らせるべきではない」と解釈してきたというのである。


▼その真意の程はわからないが、確かに古い官僚的体質では、民衆が行政権力
を信頼・依頼して、細かい行政情報を知らされずとも満足していてくれたら面
倒は避けられる、と考えたとしても仕方がないかも知れない。しかし、近代的
民主主義国家の官僚としては、主人公たる国民・市民に対して、行政機構に頼
らせたいとか、あまり情報公開はしたくないなどと考えるのは、完全に公僕た
る民主官僚失格であろう。


▼にもかかわらず、古い官僚的体質である「由らしむべし、知らしむべからず」のメンタリティが色濃く感じられるのが特別会計の存在なのである。塩川発言以来、改革機運が高まり、かつては30以上あった特会が現在では18にまで整理・統合されたとはいえ、官僚支配の大きな源泉の一つである特会の不透明性は健在だから、これの内実を明らかにして、財政的な無駄を省くとともに、国民の代表による政策的意志決定の場としての国会での審判に晒せるようにしなければならない。


▼そのためには、経済の語源たる経世済民(世の中を上手く治め、民を苦しみ
から救うこと)のような官僚による上から目線ではなく、主権者たる国民・市
民自身が、結局は自分たちの財布から出た特別会計の予算について厳しく目を
光らせ、無駄遣いや不正のチェックを行う必要がある。しかしそのことは、官
僚に面倒なことは押し付けて済ませるのではなく、本当の意味での責任
ある納税者・主権者として自己教育し行動することを余儀なくされるだろう。
何にしても、10月の「特会」事業仕分けは主権者として注目すべきである。