大川端だより(446)

thayama2010-07-10


  
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本邦初の戦闘的フェミニズム小説『真珠夫人』…?


菊池寛の小説『真珠夫人』は、1920(大正9)年6月9日〜12月22日まで、
大阪毎日新聞と東京日々新聞に連載され、大人気となった。ウィキペディア
よると、過去3回映画化されている。まず連載と同年に、いち早く国際活映が
角筈撮影所で撮影し、同年11月28日に公開している。もちろん無声映画である
が、新聞連載中に映画が制作されたということから見て、同小説は読者に大評
判だったのだろう。


▼2度目の映画化は1927(昭和2)年で、これも無声映画である。制作は松竹
キネマ。そして3度目は、第2次世界大戦後の1950(昭和25)年で、制作は大
映。監督・脚本:山本嘉次郎、主演:高峰三枝子池部良という力の入れよう
だったようだ。


▼これらに加えて、TVドラマ化も過去2度ある。1回目は原作が書かれてから
50年以上経った1974年9月2日〜10月25日まで、TBS系列の「花王 愛の劇場」枠の昼ドラとして、主演・光本幸子で全40回放映。2回目は、80年以上経った2002年4月1日〜6月28日まで、フジテレビ系列で全65回、横山めぐみ主演で
昼ドラとして放映されて、大人気となった。


▼2002年の昼ドラ作品は、その後も各地で再放送されるとともに、漫画化もさ
れているようだ。このような古い原作をTVドラマ化するというのは、よっぽど
作品に力があり、現代人にもアピールするとプロデューサーが考えたからに違
いない。ではまず、『真珠夫人』がどのようなストーリーなのか、下記に概説
しておこう。


▼時代は大正。貧乏男爵家の美しい令嬢、唐沢瑠璃子は初恋相手の杉野直也と
成金実業家・荘田勝平の催した園遊会に出席するが、その成金趣味に辟易して、二人で散々こき下ろしていると、偶然それを荘田が聞いており、煮えくり返るような思いで、若い二人と口論になる。荘田の持論は、「現実的には金さえあればなんでもできる」ということだが、若者の純真さと理想主義はそれをよしとはしない。結局、教養ある二人に言い負かされた形となり、荘田は悔しさのあまり二人に復讐を誓う。


▼荘田の復讐は、清廉潔白なことで有名な瑠璃子の父、反骨政治家・唐沢男爵
の借金の債権を買い集め、急な返済を迫ることであった。返済が不可能なこと
はわかった上で唐沢家を追い詰め、瑠璃子を自分の妻に迎える交換条件として
負債をチャラにすることを提案。もちろん男爵は、自分の娘を借金の形に身売
りさせるような真似はできないと考えるが、瑠璃子自身が荘田家に嫁として入
り、そのことによって理不尽な荘田に復讐することを決意する。


▼荘田家に入った瑠璃子は自分の美貌と処女性を武器に、さんざん勝平を焦ら
す。しかしある嵐の夜、暴力的に彼女を奪おうとした勝平は、知的障害があり
璃子に好意を持つ自分の息子に殺されてしまう。死の間際に、勝平から息子
と娘の将来を託された瑠璃子は、荘田家の美貌の若き未亡人、義理の母として、世間の注目を集める。そして、荘田の財産を意のままに使えるようになった彼女は若くて有能でハンサムな青年たちを自分のサロンに侍らせ、その美貌と知性を武器に、男たちを手玉に取るのだが、やがてその中の一人にナイフで刺され死出の旅に立つことになる。


菊池寛はこの作品の新聞連載によって一躍流行作家となる。同作品への世間
的評価は、通俗小説、大衆娯楽作品といったところが大半であろう。菊池は、
1920年に32歳という若さでこの作品を書いたが、その前は17年には『父帰る
(戯曲)、18年に『無名作家の手記』や『忠直卿行状記』、19年『恩讐の彼方
に』や『藤十郎の恋』(小説&戯曲)など、有名な作品を矢継ぎ早に上梓して
いる。


▼筆者は、『真珠夫人』読了以前は確か『父帰る』と『恩讐の彼方に』しか読
んでおらず、特に菊池作品の愛読者ではなかった。しかし、たまたま新しく購
入した電子辞書に収録されていた青空文庫版の『真珠夫人』を読んだ。そして、読後の感想は、「これは通俗小説というより、日本初のフェミニズム小説ではないか……」というものだった。とりわけ、主人公・瑠璃子の次のような独白を読んだときに、「大正時代の小説のヒロインに菊池寛はこんなことを言わせていたのか……」と驚嘆した。


▼「人が虎を殺すと狩猟と云ひ、紳士的な高尚な娯楽としながら、虎が偶々人
を殺すと、凶暴とか残酷とかあらゆる悪名を負はせるのは、人間の得手勝手で
す。我儘です。丁度それと同じやうに、男性が女性を弄ぶことを、当然な普通
なことにしながら、社会的にも妾(めかけ)だとか、芸妓(げいしゃ)だとか、女優だとか娼婦だとか、弄ぶための特殊な女性を作りながら、反対に偶々一人か二人かの女性が男性を弄ぶと妖婦だとか毒婦だとか、あらゆる悪名を負はせようとする。それは男性の得手勝手です。我儘です。妾(わたくし)は、さうした男性の我儘に、一身を賭して反抗してやらうと思つてゐますの。」
また、


▼「妾(わたくし)、男性がしてもよいことは、女性がしてもよいと云ふこと
を、男性に思ひ知らせてやりたいと思ひますの。男性が平気で女性を弄ぶのな
ら、女性も平気で男性を弄び得ることを示してやりたいと思ひますの。妾(わ
たくし)一身を賭して男性の暴虐と我儘とを懲らしめてやりたいと思ひますの。男性に弄ばれて、綿々の恨みを懐いている女性の生きた死骸のために復讐をしてやりたいと思ひますの。本当に妾(わたくし)だって、生きた死骸のお仲間かも知れませんですもの。」


▼もちろん「綿々の恨みを懐いている女性の生きた死骸」というのは、男の慰
みものとしての“娼婦”や“妾(めかけ)”だけではなく、男性社会にさまざ
まなサービスを供する“女中”や“女給”、ひいては家事マシーン、子孫生産
機械としての妻・主婦という立場まで表現した言葉であろう。瑠璃子のセリフ
は、まさに“戦闘的フェミニズム宣言”といっても過言ではない。


▼これらのセリフが発せられたのは、彼女によって精神的に弄ばれたとする、
交通事故で亡くなった青木青年の、同乗者だった渥美信一郎が、死者を代弁し
て次のように論難を浴びせたときのことである。「(前略)…、男性に対する
貴女の危険な戯れを、今日限り廃(よ)していただきたいと思ふのです。それ
が青木君の死に対する貴女のせめてもの償ひです。」と言い、青木の遺した遺
書代わりのノートを読ませる。


▼すると彼女の反応は、「でも、妾(わたくし)、此のノートを読んで考へま
したことは、青木さんも普通の男性と同じやうに、自惚れが強くて我儘である
と云ふこと丈(だけ)ですもの。」というものだった。


▼渥美は呆れて、「どんな妖婦でも、(中略)自分を恨んで死んだ男の遺書
(かきおき)を、かうまで冷酷に評し去る勇気はないだらう。自分を恨んでゐ
る、血に滲んだ言葉を自惚れと我儘だと云って評し去る女はいないだらう。」
と考え、彼女を激しく嫌悪する。彼女はこのあと、既述の“戦闘的フェミニズ
ム宣言”を高らかに謳い上げるのである。


▼筆者に勝敗の軍杯を上げろと、どなたかがおっしゃるなら、「勝負あった。
完璧に瑠璃子様の勝ちです」と答えよう。実は、渥美自身も、彼女に誘惑され
かかって、その知性と趣味の洗練、そしてもちろん美貌にメロメロになり、新
婚の妻への精神的裏切りをしていたのである。「何をか言わんや…」としか言
いようがない。


▼作者の菊池寛はこのあと流行作家となり、文藝春秋を創刊し大成功、女性遍
歴を繰り返すのだが、連載時点では瑠璃子に自分の思想を仮託していたのだろ
う。今から90年も前に、これほど戦闘的なヒロインを、新聞連載の大衆娯楽小
説のなかで造形した、菊池の作家的手腕は確かなものである。


▼そこには、彼の誕生以来の来歴や、直木賞芥川賞を創設したプロデューサ
ー的資質、また大正デモクラシーという時代的パトスなども与っている、とも
思えるのだが、そこまで触れるのは筆者の現在の時間と能力を超えている。そ
こでそろそろパソコンを閉じようと思うのだが、とにかく面白い小説だから、
できるだけ多くの人に無料の青空文庫版を紐解いてもらいたいものである。
その際、入力ボランティアに感謝することを忘れずに。