大川端だより(461)


最近とんと見かけなくなったものに有刺鉄線がある。思えば、ぼくらの子どもの頃は、街中のあちこちに有刺鉄線を巡らせたトポス(場所)があった。その大方は空き地とか原っぱと言われるもので、今はほとんど見られなくなった。空き地はあっても、すぐに駐車場や建設中のマンション・スペースになってしまう。


ひょっとしたら、最近の若者は有刺鉄線を見たことがないかもしれないので、広辞苑を引くと、「撚り合わせた針金に、短く鋭く切った針金のとげをつけたもの。19世紀後半にアメリカ西部で初めて考案・生産された。茨線(ばらせん)。」とある。おそらくアメリカでは牧場の周りを囲む材料として開発されたもので、牛や馬が逃げないようにしたのだろう。


ぼくらの子ども時代はまだ戦後間もなくで、あちこちに空き地・原っぱがあり、必ず周りを有刺鉄線で囲まれていた。つまり、この場所は「進入禁止」ということで、入るべきではないのだが、子どもたちはそんな場所を格好の遊び場、冒険空間と見なしていた。


中は草ぼうぼうで、バッタや蝶々、カエルや野良猫などがいた。足下はでこぼこで、ところどころに穴があり、足を取られて転ぶことも多かった。また、草束と草束を結び合わせたり、大きな穴を掘って落とし穴を作ったり…、人を転ばす仕掛けもした。犬のウンコを踏んで思わず叫び声を上げたり……。


この冒険空間に侵入するためには、有刺鉄線を突破しなければならないのだが、必ず誰かが草に隠れた下のほうの鉄線と鉄線の間を何かで広げたりして、侵入口をつくっていた。そこから入ったり、有刺鉄線を何とかして乗り越えたりするのだが、よくズボンの裾をひっかけてカギ裂きになったり、時には足や手に引っ掛け傷を作ったりした。家に戻ると当然、母親に叱られるのだが、原っぱへの誘惑は強く、またすぐに友人を誘ったりして冒険空間を訪れてしまうのだった。


現代の子ども公園のようなものには、子どもたちの冒険心を掻き立てる要素はない。大人によって整備・管理され、「野球禁止」などの規則に縛られたトポスが子どもたちにとって冒険空間であるはずがない。


原っぱと公園。子どもたちにとってどちらがいいのか…、なかなか結論は出せないのだが、おそらく今、自分に10歳の息子がいて、どちらかで遊ばせることを選択しなければならないとしたら、たぶん公園のほうを選ぶだろうと思う。理由は、子どもの安全と冒険心の満足を天秤にかけて、やはり「安全」のほうを選ぶからだ。


「原っぱから公園へ」という流れは端的に言えば、文明化ということだろうが、それが必ずしも子どもたちの精神の自由や逞しさに繋がるとは思えない。子どもの自由な精神を解き放つためには、多少の危険を顧みずに前進する冒険心が必要となる。それを保証する領域がどんどん少なくなってきている。安全と引き換えに、冒険心を捨てさせることが本当に子どものためになるのか? 大いに疑問のあるところである。