大川端だより(460)


ブルース・スプリングスティーンが93年にイタリアのヴェローナで行ったコンサートのDVDを買った。これが“伝説の”という形容詞がつく素晴らしいコンサートで、ブルースは全17曲を全身全霊で唄っている。


彼の体型はどちらかというとズングリムックリで、脚は短く、尻は大きく、肩から二の腕にかけての太さは、まるでアメフトのディフェンスマンのようである。ボブ・ディランニール・ヤングがどことなくカレッジキッヅのイメージがあるのに比べて、ブルースは完全にアメリカの肉体労働者を彷彿させる。


しかし、彼の少し垂れ下がった目は、寂しそうであり、またある種の羞恥を湛えているように見える。ジョン・ウェインスティーブ・マックィーンと同種のアメリカの労働者の視線を感じるのである。ただ、彼の視線にはアメリカという国の数々の暴挙に対しての体の底からの羞恥が滲み出ているように思える。


彼のステージは、演出的な虚飾を排し、シンプルである。服装も普通のアメリカ人の日常的なもので、先の少し尖った汚そうなブーツにジーンズ、上は最初は茶色っぽいジャンパー(ブルゾンというよりジャンパーという言葉が適切)で、上着を脱ぐと普通のくすんだ色の半袖Tシャツ、それも脱ぐとランニングシャツで、肩から二の腕がむき出しになり、その太さに思わず目が行く。


全17曲の中には、「明日泣き暴走」や「ボーン・イン・ザ・USA」を筆頭に、「リバー」、「グローリー・デイズ」、「ハングリー・ハーツ」など、ヒット曲が入っている。「ハングリー・ハーツ」などは、観客とともに「Everybody got hungry hearts」のリフレインを何度も合唱し、ステージと観客席の一体感を盛り上げる。さすが、“ザ・ボス”だけあり、見事である。


何よりも彼の声が人の心を惹きつける。初期のボブ・ディランの唄い方のようにまではシワがれてはおらず、声の低さもそれほどではないが、ある種独特の魅力がある。シャウトするときはまるでゴリラの咆哮のようで、世界を睥睨する威厳が備わっているように感じられる。


最近の演出過多のコンサートを見慣れた目にはシンプルすぎると感じるかもしれないが、唄と演奏を聴かすにはある意味で過度の演出は不必要である。ショウとしてステージを盛り上げるために、化粧や服装を奇抜にし、大がかりな舞台仕掛けを設計する。それも一つの考え方だとは思うが、ぼくらのような古い人間は、やはりコンサートでは唄と演奏をキチンと聴きたいと思うのだ。