大川端だより(452)


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┃┃■ 黒ビールでも飲みながら……(153) by thayama
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  ◆「“自主規制”クソくらえ!」


▼事前規制というのは、物事を実行する前に自主的に規制することである。だ
から、「自主規制」と言ってもよい。広辞苑によると、自主規制とは、「公権
力の規制を避けるため、個人または企業・団体がその言動につき自主的に規制
を加えること。映倫などはその例。」となっている。


▼企業や大学、学術団体などの広報関係の仕事をしていると、最近とくに目立
つのが、リスク回避のための自主規制や自粛である。確かに昔に比べ、現代は
リスク社会であり、ひとつ間違えば組織の致命傷になる危険がいっぱいだ。昔
なら周囲の苦笑で済まされていた経営者や大学教授の不倫騒動や、酒に酔っ払
っての不祥事などがすぐに組織のリスクにつながる。


▼もちろん、これらの不祥事を黙過することを良しとするわけではないが、な
にか社会全体として自主規制が日々強化されていっているように感じる。大企
業や官僚機構、学術団体などがリスク回避のために自主規制を行うのはある意
味で当然だとは思うが、NPO・市民活動団体までがそういう社会の風潮に過
度に適応しようとするのはいかがなものか。


▼例えば、個人情報保護や企業の内部統制、団体の社会的責任についての法制
化などは、市民社会に多大な影響をもたらす大企業や官僚組織等の強力な権力
機構に対して、社会が一定程度の規制をかけるのは当然だと思う。なぜなら、
これらの大組織は、十分な資金と人的資源を有しており、やろうと思えばかな
り恣意的に、個人や社会に損失を与えることも可能だからである。警察当局が
自分たちの面子のために無辜の市民を犯罪者に仕立てたり、大企業が自社利益
のために有害な商品を販売したりするケースが後を絶たない。


▼「規制の法制化」の流れはほとんどが欧米発で、日本はそれに遅れまいと必
死で追従しているのが現状だろう。大きな意味でのグローバル化のなかで、そ
れをしないと仲間に入れてもらえないからだ。しかし、グローバル化の矛盾が
あちらこちらで露呈している現在の国際社会において、一度立ち止まって過度
の「規制の法制化」のデメリットについて議論する必要があるのではないか。


▼というのは、「規制の法制化」の本質は、自主規制の強制なのではないかと
思うからである。「自主規制の強制」という物言いはそれ自体言語矛盾なのだ
が、法律や規則があるから、本当は「やりたくない」ことをしたり、また反対
に「やりたい」ことに自主規制をかけてしまう。そして、それがいつの間にか
習い性となり、何でもかんでも「リスク予防」を言い訳に、為すべきことをサ
ボタージュするようになる。


▼このことのデメリットを最も蒙っていて、ほんとうに気をつけなければいけ
ないのが、NPO・市民活動だと思う。昔、小田実氏だったか誰だったかは失
念したが、「運動のなかで事前規制をして何もせずに引き下がることは、結局
何ももたらさない。言うべきことを言わなかったり、しなければならないこと
をしないのは、社会的に何の影響も与えられない」という意味のことを言って
いたのが印象に残っている。


▼例えば、行政によって市民が何かの不利益を蒙ったとき、「どうせ言っても
無駄だから…」と引き下がったとすると、そこには何の社会的なインパクトも
なく、結果として何も起こりえない。しかし、そのことをビラなどに明文化し
たり、抗議デモを行ったりすると、人びとも振り向くだろうし、行政も何らか
の対応をせずにはいられないだろう。つまり、事前規制・自主規制なんかしな
いほうが、社会的な変化・変革を呼び起こすのである。自主規制なんかクソく
らえ!……と言っておこう。