大川端だより(449)


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┃┃■ 黒ビールでも飲みながら……(151) by thayama
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  ◆「家族という親密圏を開くと『新しい公共』が……」


▼祖父の一周忌のあと、お祖母ちゃんちの一間に集まった鳥越一族の孫たち五
人。祖父母は四人の子を育てており、一組の姉弟を除いて孫たちはそれぞれ親
が違う。最年長は二十二歳の律子姉ちゃん、最年少は中学生になったばかりの
男子、ケン坊である。


▼彼(彼女)らは最近、“元気オーラ”をいつも発していたお祖母ちゃんの、
最愛の人を亡くした意気消沈ぶりを憂慮しており、なんとか元気づける方法が
ないものか……とみんなで話し合っていたのだ。そこで、「動くか」と、お祖
母ちゃん元気づけプロジェクト実行の決断を下したのは、女親分肌の律子姉ち
ゃんだった。


金城一紀のこの小説『映画編』には魅力的なキャラクターが何人も出てくる。
中でも女性の登場人物がステキである。例えば、黒で身を固めた五頭身の復讐
に燃えた心優しい小太りおばさんハーレー・ライダーとか、高額な違約金を払
うために自らの腎臓を売って金をつくり、南へ放浪して宮古島にたどり着き、
天然記念物の宮古馬に魅せられて定住した龍一(リョンイル)の、愛と「在日」
カミングアウトの告白を「柔らかい微笑で受け止め、龍一を堅く抱きしめた」
ウチナンチューのシングルマザー等々。


▼律子姉ちゃんというのは、「子供の頃から度胸の良さと落ち着きぶりがハン
パではなかったし、見た目もキレイだし、それに、大学三年で司法試験に合格
してしまうぐらい賢いし、さらには、小学校に上がってすぐにクラスメイトの
坂井伊織くんを見初め、『わたし、伊織くんと結婚する』と、弱冠六歳で宣言
し、来年の大学卒業を機に本当に伊織くんとの結婚を成立させてしまうような、
一途というか頑固というか剛腕というか、なんというか」見事に魅力的な日本
女子なのである。


▼女子に比べて、この小説の男子たちは、あんまりカッコいいとは言えないが、
愛すべき人物たちである。ことに第五章(最終章)の主人公・哲也は、律子姉
ちゃんと同じ大学の法学部三年生なので、よく比較されるが、哲也自身「ハン
パな相手と比較されてそう言われたのなら腹もたつが、律子ねえちゃんが相手
ではしょうながい。潔く白旗を振ろう」と考えている。でも、勉強力ではずっ
と落ちるが、ある情報を得るために初めて会った教授に、「いい目をしてるね
ぇ。でも、両親からもらったまんまだね。勉強したらもっといい目になるよ」
と言われるので、おそらく印象的な目をもつハンサムな男の子なのだろう。


▼お祖父ちゃんが無宗教だったのでお坊さん抜きのお通夜だったのだが、その
時に、ケン坊がお祖母ちゃんに祖父との一番楽しかった思い出について質問し、
初デートでローマが舞台の映画を見たときの話を「かなり憔悴していたおばあ
ちゃんも、その思い出話をしている時は活き活きとした表情を見せていた」こ
とをみんな思い出し、「ローマの休日」を大きな劇場で見せてあげて、お祖父
ちゃんとの楽しかった頃の追想をしてもらい元気づけようという結論に達する。


▼そこで、律子姉ちゃんが哲也に向かって一言。「そんなわけで、今回もアレ
ンジをよろしくね。プロデューサー」。このセリフから読み取れるのは、これ
まで孫たちの間で何かのプロジェクトなり計画があると、そのアレンジメント
を担当するのは哲也だということだ。そして、その役割を「プロデューサー」
のような仕事とみんなが思っているということなのだ。


▼プロデューサーというのは、「夢や計画を形にする人のこと」だと考えると、
確かに哲也のした仕事はプロデュースであろう。まず大前提として、「ローマ
の休日」の劇場用の35ミリフィルムの所有者を探し出して使用許可をもらい、
上映できる劇場と鳥越一族のみんなが参加できる日程を押さえる必要がある。


▼また、借りることができたのが収容人数1000人を超える区民会館の大ホール
だったので、一般の人たちの入場を認めるかどうかをみんなに諮り、映画のポ
スターを貼らせてもらう場所を確保し、当日用のパンフレットをこしらえ、当
日は当日で映写機の具合を確認し、入場者の受付をするなど、トータルにみん
なの計画(夢)を形にしていったのである。


▼最初、哲也は、「心の中で、ふざけんなっつーの、なんでいっつもいっつも
めんどくさいことは俺がやることになってんだよ、とぶつぶつ文句を言ってい」
たのだが、プロジェクトを実行していくプロセスの中で確実に成長するととも
に、映画についての広範な知識を深め、フィルム所有者との有意義な交流をし、
おまけに知性的で美しいガールフレンドを得たりもする。


▼結局、ケン坊の「映画はいっぱいの人と見たほうが絶対に楽しいよ!」との
一言で一般の入場を認めることになる。そして、千人以上のキャパを満杯にす
るのだが、これを市民活動的な観点で見ると、家族という親密圏の計画(夢)
を一般に公開することによって、新しい公共圏を形成するという可能性を示唆
していると考えられる。映画関係の団体の主催ではなく、一家族が歴史的な名
画を無料で公開するというのは相当にハードルの高い企てである。


▼上映会から二ヶ月後、この成功を目の当たりにした区民会館側から、哲也に
対して上映会を恒例化し、そのプロデュースしてくれませんか……というオフ
ァーがあった。それは、多くの区民から上映会に関する好意的な感想が寄せら
れたからだった。費用はすべて区民会館持ちということなので、結局、哲也は
断れずにOKしてしまうことになる。ここでこの小説は終わるのだが、ぼくは
この後の哲也の市民プロデューサー、地域プロデューサーとしての活躍と、開
かれた新しい公共としての上映会の展開がぜひ読みたいと思った。