大川端だより(448)


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  ◆「女優」という言葉の特異性について


▼女の俳優が女優で、男の俳優は男優であるが、男優と自称する俳優は聞いた
ことがない。しかし日本の女優は、自分のことを俳優とは言わず、「私は女優
です」と女性性を強調する。このことの特異性は、女性ドクターが「私は女医
です」とは決して自称しないことを考えればすぐに分かる。


▼英語の「actor」「actress」は、日本語の「俳優(主に男優)」と「女優」
に当たる言葉だが、「actress」をジーニアス英和辞典で引くと、訳語として
「女優」が当てられ、備考に《◆最近では男女共にactorということが多く、
また女優自身も自らをactorと称することが多い》と書いてある。つまり、
英米の女優は、自称するとき「女優」よりも「俳優」を好むということである。


▼外見を見ればその人物が女性であることは明白なのに、なぜわざわざ女性性
を強調するように“女優”と自称するのか? そこには女優という職業が持つ
ある種の“娼婦性”があるのではないだろうか。


▼娼婦とは、男にとって、金銭による一時的な性的所有を可能ならしめる存在
であるが、彼女らの売り物はその美貌や性的・肉体的な魅力、すなわち女性性
に外ならない。女優の場合も同じで、とくに若手は、演技力よりも性的魅力が
売り物である場合も多い。日本の若手人気女優(例えば、北川景子や長澤まさ
み、沢尻エリカ等々)の男性ファンにとっては、彼女らの役者としての技量よ
りも、多くの場合、その美貌や肉体美といった女性性が魅力なのである。


▼だから、日本の女優さんたちはそのことを暗黙裡に理解しているからこそ、
「女優です」と自称し、わざわざ「俳優です」と、その専門性やスキル、中性
性を暗示する言葉を避けるのではないだろうか……。


▼反対に英米の女優は、女性性よりも中性性と専門性を強調するとともに、フ
ェミニズム的な社会の潮流のなかで、反差別の意識をもって「I’m an actor.」
と主張するのだろう。そういえば、インテリジェンスを感じさせるアメリカの
女優、ジュディ・フォスターなどが、「I’m an actress.」と自称することな
ど、到底考えられないことであろう。


▼ところで、ジュディ・フォスターは、レズビアンとしても知られている。映
画.com ニュースによると、2007年12月に、「ハリウッドで最も影響力がある
100人の女性」として表彰された彼女は、受賞スピーチにおいて、自分がレズビ
アンであることを示唆する発言を行ったという。


▼15年来、彼女の恋人だと伝えられてきた映画プロデューサーのシドニー・バ
ーナード(女性)への賛辞を述べ、「不愉快な時も至福の時もどんな時も私と
ずっと一緒にいてくれた、私の美しいシドニーに感謝したい」と語った。長年、
レズビアンの噂があったフォスターだが、それまでは自分のセクシュアリティ
性的嗜好)について語ることを拒んでいたという。


▼この文脈でも、日本の芸能界との違いは明白である。おすぎとピーコをはじ
めとして、ホモセクシャルであることをある種の“売り物”にしている男性タ
レントはかなりいる。しかしなぜか、女性の同性愛公言タレントはいない。こ
れにはいかなる意味が隠されているのだろう。


▼江戸時代でも、男性同士が売買春する陰間茶屋はあったのに、女性同士のそ
ういう場所の存在は聞いたことがない。しかし女性ばかりの大奥などでは、レ
ズビアニズムが盛んだったことは間違いないし、現在でも必ず一定数の女性同
性愛者は確実に存在するはずだ。


▼これらのことについて、かなり大胆な仮説を提示すると、「女性は基本的に
男の所有物である」という男性至上主義的な意識、暗黙の了解のようなものが
日本社会にはまだまだあり、男同士の性的関係は一般的なヘテロセクシュアル
異性愛)の男性にとって何のデメリットもない。しかし、女性の同性愛は、
男にとって、自分のものになる可能性がある2人の異性を失うことになる。だ
から、男性中心社会のメンタリティを敏感に察知して、レズビアンを公言する
タレントがいないのではないだろうか……。


▼これはサルやライオンの生態を見れば分かる。群れの中で最強のオスが複数
のメスを独占する。また、メイティング・シーズン(さかりの季節)にオスの
昆虫や動物たちが異性を求めて熾烈な闘争をすることを見れば分かるだろう。
オスはメスに自分の子孫を残してもらうために、他のオスと生命を賭して闘う
ことによって、メスを自分のものとして“所有”するのである。


▼女性が同性を恋人や妻として“所有”することに対する男の潜在的な敵意を
感じるからこそ、レスビアン・タレントはそれを公言することに危機感を抱き、
注意深く自分の性的嗜好セクシュアリティ)を隠しているのだろう。


▼以上の文脈から結論として導きだされるのは、日本社会の多様なセクシュア
リティに対する閉鎖性であり、フェミニズム的傾向の脆弱性である。これらの
根本的な原因は、「女性が強くなった」というクリシェイ(常套句)にも関わ
らず、日本社会の現状がまだまだ根本的に男性中心主義が主流であることを証
明している。日本におけるフェミニズムプルーラリズム(多元的共存主義)
のさらなる活性化が期待される。