大川端だより(292)


今、梨木香歩のエッセイ『春になったら苺を摘みに』を読んでいる。ちょっと少女趣味のタイトルだけど、中身は濃い。彼女が若い頃、留学していた英国での下宿先のウェスト夫人のことを中心に、いろんなエピソードの中に作家の知的、精神的な軌跡が披瀝されている。梨木にとって、ウェスト夫人の影響はとても大きい。クウェーカー教徒である夫人のシンプルで柔軟、そして暖かいライフスタイルと思考は、ぼくにとっても「市民としてのスタイル」という言葉を髣髴させる。


このエッセイにはところどころワサビの効いた言葉が散りばめられており、例えば「ディベイトという名のスポーツを、私は信じない」などというのは、言葉をもてあそび、言葉でたたかうことの無意味さを「寸鉄人を刺す」ように、言い表していると思う。言葉を喧嘩の道具とするのではなく、妥協と和解のメディアとして使いこなすことこそ、いま問われているのではないだろうか。