大川端だより(270)


■「その肩の」


句集のタイトルは「その肩の無頼のかげや懐手」という句からとられている。沢木耕太郎著『無名』の中に出てくる一句である。沢木は、父・二郎の三百句を超える遺句の中でこの句をいちばん好み、その上五をとりタイトルとする。米寿を過ぎてから二郎が入院したとき、沢木は自分の父親についてほとんど何も知らないことに気がつく。『無名』は、父の入院から退院して家で亡くなるまでの看病の記録であり、沢木が父の遺した俳句を編集して「その肩の」というタイトルの句集を自費出版するまでの物語である。


沢木の父は、一介の市井の人としてその生涯を通した。父親(沢木の祖父)が戦前、かなりの規模の通信機器の会社を経営しており、その次男坊として生まれた。青年時代は、その会社の経営陣の一人として働いたが、戦災で全てを失い、戦後復員してからは、立教出身の英語力を生かして財閥系の企業や進駐軍関係の仕事をした。しかし、駐留軍がいなくなると仕事を失い、四十半ばを過ぎていた父親に仕事はなく、母の働きで一家は食いつないだ。結局仕方なく、町工場に勤め、最後は自分の小さな工場で溶接工として職業人生を終えた。


長身で、鼻梁の高い日本人離れした外貌を持ち、内外の小説を読み、一日一合の酒で満足しているような人だった。およそ出世とか自分をよく見せることには無頓着で、恬淡としている人だったようだ。女性には慕われ、沢木の母親も二人の姉も二郎の面倒をよく見、幼い頃よく連れ歩いた姪(沢木の叔母)などは出棺の際、額にキスをしたほどだった。浮気などするわけではないが、飲み屋の女将などにも馴染みがあったようだ。


沢木は、「父の句をすべて読んでみて、その心象風景が想像以上に澄んでいることに驚かされた。不自然な濁りがない。乾いているというほどではないが、湿りすぎてもいない。詠嘆はあるが悔恨はない」と書く。


この父子はちょっと変わっていて、息子は父に反発したり嫌ったりしたことがないし、父は息子を叱ったり彼の行動に異を唱えたりしたことがない。父の入院中、二人はちょっと“他人行儀”で丁寧な会話をする。とはいっても、彼らの折り合いが悪いというわけではなく、どちらもお互いを認め合い、信頼し合っているのである。


二郎の沢木に対する不干渉は徹底していて、高校生の頃からの一人旅も、大学の選択についても、せっかく入社した大企業をたった一日で辞めたときも、日本からロンドンまでの貧乏バス旅行の際も「いっさい否定的な意見を述べることがなかった」という。そして沢木は、「父の私に対するこの徹底した不干渉には凄みすら感じられる」と書く。


もちろん、二郎が沢木に対して無関心だったわけではない。その証拠に、沢木が『深夜特急』の旅をしている間、父は彼が時たま送る短い便りに感応して、「巴里はいま枯れ葉も盡きし街とこそ」など、いくつかの句を詠んでいるし、沢木が新著を出すと、「今度の本はよく書けていたね」などと感想を述べてくれた。


沢木の方は、子どもの時から父親の博覧強記に“畏怖”の念すらおぼえていたという。何を訊いてもお父さんが答えられないことはなかった。それは、明治生まれの、教育を受けた日本の男性の基礎教養の確かさでもあり、コンスタントな読書による該博な知識の蓄積によるものでもあったのだろう、また、二郎は、若い一時期、小説家になろうとしたこともあり、沢木が成人して文章で飯を食うようになってからも、「言葉の用法についてわからなくなったり、文学的な知識が必要になったりしたときは、父のところに電話を掛けて教えてもらうということがつい最近まで続いていた」というのである。


沢木は『無名』の中で、「懐手(ふところで)」が下五に来る二つの句を紹介している。それが冒頭に掲げた「その肩の無頼のかげや懐手」と、もう一句は「黒つむぎ妻厭へども懐手」である。後者において、懐手をしているのは、二郎自身であろう。夫の懐手を厭がる妻の気持ちを解りながら、敢えてそうしているのである。しかし前者は、一読すると、懐手をしている誰かの肩に無頼のかげを見ている二郎がいるのだが、沢木は両句を重ね合わせて考え、前の句を「父が懐手をしているもうひとりの自分の背中を見ている。そして、その肩に無頼のかげを見つけている」と解釈し、次のように書く。


「父は無頼の人だったか。いや、無頼とは最も遠い人だった。博奕とも、女出入とも無援の人だった。子供に手を上げたこともなく、ことによったら声を荒げたこともなかったかもしれない。一合の酒と、一冊の本があればよい人だった。しかし、もしかしたら、無頼とは父のような人のことを言うのではないか。放蕩もせず、悪事も犯さなかったが、父のような生き方こそ真の無頼と言うのではないか……。」


「無頼」とは何だろう? 辞書によると、「1.正業につかず、無法な行いをする者。またその行為。2.たよるべきところのないこと」とある。ここには、真っ当な“市民性”とは正反対の定義がある。しかし、ぼくもまた、市民の中に無頼を見ることがある。プチブル(小市民)としての従順な市民ではなく、どこかに不良性を抱いているフツーの人たちがいる。かりにその人たちを“無頼派市民”と呼んでみる。一見、なんの手強さもないが、国家や法律や家族や常識といった共同幻想には深い本質的な疑念を持ち、いざという時には、「そんなものクソくらえ!」というようなところがある人たち。そういう市民がカッコイイと思う。