大川端だより(268)


きのうに続いて、以前に書いた音楽エッセイを一発。「11月にエリック・クラプトンが来る」と書いているので、数年前のことだと思う。


いよいよ明日は「フィールドワーク市民塾3」。OBP、大阪城公園の、陸軍砲兵工廠跡を歩く。早々と定員一杯になった人気企画である。40人近い参加者である。



■『オハイオ』と『栄ちゃんのバラード』


最近とんとコンサートへは行かなくなったが、11月にはエリック・クラプトンが来るようなので、久しぶりに行ってもいいな…という気持ちになっている。というのも、60年代後半から70年代にかけての音楽を聞きながら、あらためてあの時代のロックの凄さを再認識させられているからだ。


 例えば、いま仕事中にしょっちゅうパソコンのCDプレイヤーで聴いているニール・ヤングの「DECADE」である。このアルバムは、日本語のタイトルでは「輝ける10年(ベスト)」となっているとおり、ニール・ヤングが「バッファロー・スプリングフィールド」で活動し出した66〜67年から、「DECADE」が発売された77年までの十年間の軌跡をまとめたものである。アナログ・レコードでは、三枚組み全35曲という大作だ。


CD版はディスク2枚だが、二枚目の最初の曲が有名な「オハイオ」である。これはオハイオ州のケント大学で反戦デモ中の学生四人が州兵によって射殺された事件を扱ったもので、歌詞は「Tin soldiers and Nixon’s coming(鉛の兵隊とニクソンがやってくる)」に始まり、「Four dead in Ohio(オハイオで四人が死んだ)」のリフレインで終わる。


事件後、急遽ニール・ヤングのもとにクロスビー、スティル、ナッシュの3人が集って、ロスアンジェルスのスタジオでレコーディング、1週間後には店頭にシングルが並べられたという。当時の大統領の名前をはっきりと出し、事件の責任を問うている“プロテスト・ソング”だが、その抗議の気持ちをすぐに“歌”にするアーティストと、それを商業ベースに乗せてヒットさせてしまうアメリカの音楽ビジネスの凄さを感じる。


実はぼくらも、九州大学にファントムが墜落した時に、「栄ちゃんのバラード」というフォークソングをつくって、デモの中で歌った。栄ちゃんとは言うまでもなく、当時の日本国の総理大臣、佐藤栄作氏のことである。「栄ちゃんの家にファントムが落ちたら、栄ちゃんはそのまま死んでしまうだろう。あの世できっと後悔するだろう、安保条約やめときゃよかった、と…」という単純な歌詞で、プロテストというのもおこがましい内容である。


ところが、この歌が放送禁止になったのである。どういう経緯でそうなったのか、また放送禁止というのはどこの誰によってなされるものなのか知らないが、おそらく放送業界の自主規制なんだろう。歌詞に時の首相の名前が入っていることや内容が安保条約に批判的なことが理由だろうが、情けない。ニール・ヤングの「オハイオ」の場合と比べてつくづく感じるのは、日本のビジネスの権力に対する弱腰である。権力に対抗することができるビジネスの存在は、成熟した市民社会の必要条件だと思うのだが、どうだろうか…。