大川端だより(466)

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┃┃■ 黒ビールでも飲みながら……(156) by thayama
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  ◆フレディ前村を知っていますか?


▼今の日本で、フレディ前村という人物を知っている人はごく少数だろう。彼は日系二世のボリビア人で、エルネスト・チェ・ゲバラボリビアでの最後のゲリラ戦をともに戦い、若くして戦死した。


▼ぼくがこの人物のことを知ったのは、ゲバラの奥さんが書いた伝記を読んだときに、ボリビア戦のゲリラ・リストが載っており、この日系二世の名前を見つけたのだ。そのときは、南米のことだから日系のゲリラがいても不思議ではないと思い、心の片隅にその名前を留めたに過ぎなかった。


▼ところが先日、ボリビアで2年間、日本語を教えていた甥が帰国して我が家を訪ねてくれ、そのときにフレディ前村の伝記を書いた実姉のマリー前村さんとラパス日本人会のオフィスで一緒に写真を撮ったことがある、と言ったのだ。


▼伝記の原著はもちろんスペイン語で書かれているのだが、邦訳(『革命の侍〜チェ・ゲバラの下で戦った日系二世フレディ前村の生涯』長崎出版)も出ているという。それですぐにアマゾンで注文した。アマゾンの利点は、このように大型書店ではほとんど見かけない本がロングテールで見つけられることだ。


ジュンク堂のホームページでは『革命の侍』はマリー前村ウルタード(姉)とエクトル・ソラーレス前村(彼女の息子)著、松枝愛訳で2009年8月に発行されており、1点だけ在庫があった。しかし、「ネット在庫僅少」とあるから、実際の書店には置いていないのだろう。


▼早速アマゾンで注文し、届いてから三日ほどで読了した。著者が身内で、主人公がわすか26歳という若さで政府軍によって惨殺されたのだから当然だが、フレディは若き英傑として描かれている。同書中のいろんな人による数々の証言でも、彼は無口で冷静沈着、ゲリラ戦士としてかなり優秀だったし、他者に対してとても優しい人柄だったようである。


▼ぼくらは、ゲバラによるボリビアでのゲリラ戦などと言うと、歴史上のことだと思ってしまうが、わずか40年ほど前のことである。フレディ前村は1941年10月18日の生まれだから、今も生きているとしたら、ぼくより五つ上の69歳である。団塊の世代より一世代上だが、まだまだ社会的な活躍が望める年齢だ。


▼彼の父親は前村純吉と言い、鹿児島県からの南米移民であった。純吉は、鉱山やゴム園での労働ではなく、食料品店などの商売で大成功する。九州男児で「侍」を感じさせる人だった。フレディの母親はボリビア人で、かなりの名家出身だったが、親に結婚を反対され純吉と駆け落ちする。子どもが1〜2年ごとに5人生まれ、フレディは二女三男の3番目、著者のマリーは前村家の長女である。


▼フレディは母国ボリビアで医学を志したが、左翼運動(ボリビア共産入党)がたたって大学入学許可が下りなかった。それで、1962年4月にキューバ政府の医学奨学生となる。62年10月にはソ連がミサイルを持ち込もうとしてキューバ危機がぼっ発。


▼フレディは“米帝国主義”に対する抗議活動などを行うとともに、戦闘訓練を受ける。そしてやがて、ゲバラの指揮下でボリビアでのゲリラ活動に志願。66年10月にゲリラとしてボリビアに帰り、67年8月31日に戦死。1年にも満たない戦いだったが、本書を読めばその過酷さは想像を絶する。


ゲバラは59年1月にキューバ革命が成就したあと政府の要職に就き、同年7月には日本にも来ている。しかし、世界革命の志を持ち続け、65年にはアフリカのコンゴに遠征するが失敗。翌年、ボリビアに潜入し、政府軍によって処刑されたのは67年10月9日だった。


▼ぼくの甥は、ラパスの日本人会で働いている友人とゲバラの話をしていた際にマリー前村さんが偶然現れ、以前から彼女と顔見知りだったその友人に紹介されたという。偶然とはいえ、よりにもよってゲバラの話をしていたときに現れるとは、フレディへの彼女の思いが伝わったのかもしれない。


ゲバラはある意味で坂本龍馬に似ているような気がする。全く世俗的な欲はないが、両者とも社会(世界)を変えるという大欲は持っていた。「大欲は無欲に似たり」という言葉があるが、二人にはよく当てはまる感じがする。


▼龍馬が見廻り組に暗殺されたのが享年32歳、ゲバラは39歳。どちらも一つの大きな仕事を成し終えた後だった。しかし、フレディ前村は享年26歳で、生きていればまだまだ意義のある仕事ができる年齢だった。


▼政治的な武力革命路線というのは、当時の強圧的なボリビア軍事政権下ではやむを得なかったのだろうが、やはりフレディには、平和な社会で思う存分、彼の優れた能力を発揮して欲しかった、という思いが著者のマリー前村には強かったに違いない。しかし、この本が書かれたことによって、ぼくらがフレディのことを知れたことはとても意義深いと思う。訳者の松枝愛(20歳代の終り
に本書を邦訳)はあとがきで次のように記している。


▼「私は翻訳作業を進めながら、矛盾だらけの社会構造を正そうと革命の戦いに挑んだフレディの生き方に共感する読者が少なからずいると確信した。とりわけ、日常生活の不安定さや、日本と世界の進路の不確かさを、どうにかしたいけれど、どうにもならないと、もどかしく思っている世代は、本書から何かしらのメッセージを受け取ることができるのではないだろうか」


フレディ前村は、社会的・政治的な関心に乏しい、と言われる現代日本の若者たちにこそ、ぜひ知ってもらいたい人物である。