大川端だより(458)


最近、TSUTAYAでDVDを借りて、テレビやパソコンで映画をよく観ている。久しぶりに健さんの「昭和残侠伝 死んでもらいます」を観たが、この映画は東映ヤクザ映画の傑作の一つである。


最近の、虚仮威しのハリウッド映画を見慣れた目にはかなりユルイ映画のように思えるだろう。確かにアクションシーンもほとんど最後だけだし、もちろんCG
なども使っていないから、吃驚するような映像的な刺激は少ない。


だけど、この映画のなかで、高倉健富司純子が出てくるシーンは、それれだけでものすごく美しい。二人とも立ち姿がいいし、富司の演じる深川芸者の美しさといったらまさに絶品である。こんなに容姿が美しく、凛としたハリのある女優さんは今の映画界には見当たらない。


ところで、最近大評判になったジェームズ・キャメロン監督の「アバター」をDVDで観たが、何の感銘も受けなかったどころか、途中で眠たくなって寝床に入ってしまった。この映画こそほくの言う「虚仮威し映画」で、本質的には古い“西部劇”なのに、映像的に新奇性を狙っただけの作品だと思った。


うちのテレビは3Dなんかではないので、映像が飛び出してくることはなかったが、ぼくは映画を3Dで観たいとは思わない。3D化は映画のアートからアミューズメントへのコンセプト転換を意味している。


ぼくはなにも「映画は芸術であらねばならない」……なんて言っているわけではない。ただ、娯楽性の中にも何らかの“思想性”というか“哲学”というか、作家としての監督の“今”に対するメッセージが込められているべきだと思うのだ。虚仮威しの映像的アミューズメント性が強くなればなるほど、映画はアートからゲームに近いものになっていくのではないか……。


因みに、つい最近、新しい“営業用”ブログ「まいど!『言葉工房』デス」というのを立ち上げ、それに「アメリカ映画に銀行強盗が多いワケ」について書いているので、ぜひそれも読んでください。下記URLからどうぞ!

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