大川端だより(457)


午後2時間近く大川端の木のベンチに腰掛けてゆく夏を眺めていた。9月というのにまだ生暖かい風が吹くと、カサカサとコンクリートの地面に落ちた枯れ葉が鳴り、かすかに秋の気配が感じられる。


犬を散歩させている人が通り、細いタイヤのスポーツ用自転車が駆け抜け、仲睦まじい夫婦が談笑しながら通り過ぎる。ノラ猫が音もなくぼくの顔を見ながら前を過ぎ去った。


カラスがアーアーアーと鳴き、大川を通るモーターボートや観光船のエンジン音、向かいの都島方面の川岸からは子どもたちbの声が聞こえる。「ボールとってくださ〜い」。


通りすぎる人間は、いわゆるオッチャンと言われる人たちが多い。彼らは一様にキャップを被り、長半ズボン(膝が隠れるくらいの長さ)を履いて、首からタオルをぶら下げている。健康ウォーキングだろう。


ベンチに座っているのもオッチャンがほとんどである。本を読んでいる人もいるが、ほとんどは所在無げに座っている。自転車を横に止めている人もいる。ベンチを独占して寝転がって昼寝を決め込んでいるオッチャンも。


穏やかな午後、こういうのが平和、そして幸せというものだろう。年をとると、たまに何もしないで、日陰の公園や水辺の近くの木のベンチに座る、という行為が必要になってくる。意味のあることを何もしない。これは老人の特権である。