大川端だより(453)


土曜日(21日)に天神橋商店街をぶらぶらしていて、たまたま入ったCDショップで「ディ・エッセンシャル・ブルース・スプリングスシーン」という三枚組のアルバムを買った。スプリングスティーンは前々から気になっていた存在で、70年代から80年代にかけて、「ボーン・トゥ・ラン(邦題「明日なき暴走」)」や「ボーン・イン・ザ・USA」などが盛んにFMラジオで流れていた頃、そのサウンドや歌声にものすごく惹かれるものがあった。


しかし特に集中して彼のアルバムを聞いたことはなかった。というのは、彼のリリック(歌詞)を深く味わったことがなかったので、なんとなくアメリカ礼讃のヒトかなあ……というイメージがあったからである。これはアメリカでも同じらしく、今日もテレビのニュースで、グランド・ゼロ付近で計画されているイスラム寺院建設に対する賛成・反対両陣営のデモのなかで、建設反対派の集会で「ボーン・イン・ザ・USA」が大きな音で流されていたことからも分かる。


そのことを知ったのは、村上春樹の音楽エッセイ『意味がなければスイングはない』を読んだからである。なぜこの本を読んだかといえば、スプリングスティーンについてネット検索していて、何かのブログに村上春樹が彼の音楽について書いている、と書かれていたからだ。早速、日曜日(22日)の朝にアマゾンで注文し同日夕方には読むことができた。


村上によると、スプリングスティーンの音楽は、米国の作家レイモンド・カーヴァーの作品との類似性が認められるという。ご存じの方も多いと思うが、村上はカーヴァー全集を翻訳している。しかしぼくは、村上の作品は結構たくさん読んでいるが、カーヴァーの翻訳はまだ読んだことがないので、その類似性はわからないのだが、二人ともアメリカの労働者階級の出身で、両者の作品はそのことのシンドさがモロに描かれているということだ。


確かに、スプリングスティーンのリリックをところどころ読んでいると、とくにレーガン政権時代の米国労働者階級の何ともいえない焦燥感、イライラ、無力感といったものが感じられ、アメリカ礼讃というよりも、ある種のプロテスト・ソングのようにも思える。だけど彼の不幸は、あまりにもキャッチーなフレーズがうけて大ヒットし、アメリカンロックのカリスマに祭り上げられた挙句「ザ・ボス」とまで呼ばれ、日本で言えばY沢某みたいになってしまったことだろう。スケールもスタイルもぜんぜん違うけどね(笑)。