大川端だより(442)


When people meet, they mate.(遭えば、交わる)


若いころ、米国オハイオ州スプリングフィールドのウイッテンバーグ大学に交換留学していたとき、文化人類学の教授に教えてもらった言葉である。人間というのは、文化の違いを超えて、遭遇すると交わるものだ、という意味である。


現代は、異文化の人びとがかってなかったほど頻繁に遭遇し、文化的、性的に交わっている。だから、必然的に混血が進み、一人の人間の中に多くの文化と血が混じっているケースが少なくない。前回紹介した『ニューヨーク地下共和国』の主人公ゼムのように。


かつてアメリカは比ゆ的に「人種の坩堝」と言われたが、いつのころからか、それが「サラダボウル」に取って代わられた。坩堝のように溶け合い交じり合うのではなく、それぞれの野菜が元のままの姿で混ぜ合わされるサラダボウルの中のような社会、という意味で使われた比喩だった。


しかし今また、アメリカだけではなく世界的に人種の坩堝化が起こっているのではないか。そうなると、今多くの政治家や評論家が言っているような国家主義的な言辞、いわく「日本再生」、「日本の競争力の再生」、「日本文化優位論」などは声高に主張しても詮無いことのように思える。