大川端だより(434)


朝の五時半に、事務所でアニマルズをがんがんかけながら、江戸時代についての本を読む。


アニマルズはハウス・オブ・ザ・ライジングサン(朝日の当たる家)とドント・レット・ミ・ビ・ミスアンダストゥッドが超有名だが、このアルバムは60年代のシングル曲の寄せ集めで18曲入っている。その中でぼくがとくに気に入ったのはブライト・ライツ・ビッグ・シティとザ・ストーリー・オブ・ボー・ディドレーである。いかにも60年代のロックンロールで、やはりぼくらの血のなかにはこれらの音楽が色濃く流れている。ぼくらより一世代前の人たちが軍歌や日本の古い歌謡曲に懐かしさを感じるのと同様、ぼくらは60年代のロックンロールがいちばんピッタリ来る。ぼくは昔から西洋のクラシック音楽というのが苦手で、どれを聴いてもあんまり良いとは思わない。なんか気取っている感じがするし、ぜんぜん官能中枢を刺激してくれない。やっぱ音楽はロックでしょう。


今読んでいる本『江戸の遺伝子』(PHP研究所 本体1,500円)は、徳川宗家第十八代にして徳川記念財団理事長の徳川恒孝氏によるもので、なかなか示唆に富んだ内容である。まだ読了していないが、例えば次のような一節。少々長いが引用しておく。


「八代将軍の吉宗の時に次のような記録があります。/(ある人が吉宗にむかって)『御旗本衆には代々伝へし甲冑・武具の類、悉く質屋へ預け置きて、毎年質屋にて虫干しを致し、流し申さぬように物成り・御宛がいの節(年貢の収入がある時に)、利銭を出し置き候こと、言語道断のことにて候』と申しければ、吉宗聞きて笑ひて、『東照公千辛万苦遊ばされしは、一度(ひとたび)天下を泰平に為さんと思し召しての事なり。誠に弓は嚢(ふくろ)に、太刀は箱に収まる世こそ目出度けれ。嚢よりも箱よりも、今は遥かに打ち超えて、旗本の武器、悉く町人の土蔵に預け置くとは、是より能く治まる時節は、天地開け始まりであるべからず。東照宮は箇様(かよう)に成されたく思し召して、御苦労遊ばされし也。武具の哀れ質屋に朽つるこそ、尚ほ目出度けれ』と言はれたり。」


もちろん東照公(宮)とは徳川家康のことであるが、それにしても吉宗の「武具の哀れ質屋に朽つるこそ、尚ほ目出度いけれ」という言い草はスゴイ。この精神こそ、徳川の治世が二五〇年以上平和裡に存続した所以であろう。