大川端だより(428)


竹中労は、91年5月に肝臓がんで亡くなっているから、今の若者には馴染みの無い名前かもしれないが、ぼくら旧世代のライターにとってはある種のカリスマであったことは間違いない。竹中は週刊誌全盛時代に、ルポルタージュ(現地レポート、記録文学)というフランス語とライター(記者、書き手)という英語を合成してルポライターという新しいジャンルの仕事を確立した。


竹中が初期に活躍したのは、週刊朝日サンデー毎日といったどちらかと言うとお行儀の良い週刊誌ではなく、アサヒ芸能や週刊実話、週刊大衆など、スキャンダリズムを売り物にしたイエロージャーナリズムの世界だった。その中で、60年安保や三里塚や沖縄の闘争にも加担し、下からの革命を志向した竹中はジャナリズムの世界でも果敢に戦いを挑んだ。


とくに竹中の功績としなければならないのは、出版・雑誌界における差別の構造の告発だった。大出版社の正社員編集者を頂点とし、専属のライター、そして雇用と収入の不安定なルンプロ(古る〜い!)ライターへと続くピラミッド構造の告発。そしてまた、週刊誌が毎週記事を生産しなければならないため、必然的に分化せざるを得なかった、取材と情報・資料集め、そして下書きに特化したフリーライターと、彼らの取材をもとに自分では取材せずに最終稿をまとめるアンカーマンとの分化に対する抵抗だった。竹中は、アンカーを務めつときも必ず現地を取材し、関係者から話を聞いた。


そういう時代のライターだから、イチイチ言うことが過激であるが、現代のネット的ぬるま湯環境にある多くのフリーライターや市民ライターにとって、肺腑を抉られるような言葉たちを発している。以下同書からの引用である。


「<言論><暴力>を対立する概念と規定するところから、文弱の思想が生まれ、戦後擬制の民主主義の迷妄は発する。言論は暴力であり、武闘と文闘とは権力を撃つ双つの矛(つるぎ)であるという認識を私たちは持たなくてはならない。さもないと、天下大乱に先立つ言論統制は、再びなべての反体制的言辞を容易に圧殺してしまうであろう。」

「最近はとみに悟りすまして(?)、『やさしさ』に関わる怨み、愁いの考究に専念してオル。国家・法秩序の前に有罪であってこそ真の自由、などと勇ましいことは年齢相応にいわぬことにしよう。だが、本質的に断じてしまうなら、“言論・表現の自由”は権力に対立する概念であって、法に保証されるということ自体そもそも錯覚といわねばならない。」

「限りなく保守・反動化していく傾向を、既成の党派や組織の運動の論理でくいとめることはもはや不可能なのだ。“法”よってさばかれる国民を、『法を裁く』人民に転化する道は、人々が自由な個人に解体をとげて、組織されざる団結に連動することの他にない。」


どうです。過激でしょう。彼は左翼というよりアナキストです。このインターネットの時代に竹中が生きていたら、どんな言論活動をしていたのか、ちょっと興味がありますね。