大川端だより(426)


NHKの朝ドラ「ウェルかめ」は現在、主人公・波美(ナミ)が働く徳島の小出版社「ゾメキトキメキ出版」の発行する「発心」という地域情報誌がピンチに陥っている。というのは、大手による新しい同種の雑誌が発刊し、「発心」よりもページ数もカラーも多いため、多くのスポンサーが新雑誌に広告掲載を移し、ゾメキトキメキ出版社は存亡の危機を迎えているのだ。


新雑誌は、記事の中身は薄いが、デザインは今風で何よりも発行部数が多いため、読者とスポンサーを吸引している。ところが、「発心」のほうは、記事の中身は人間を描いて深みはあるが、予算が少ないためいかんせん見栄えが良くないし、カラーページも縮小しなければやっていけないぐらいに追い詰められている。創刊者で編集長の吉野は自分の貯金をはたいてまで、「発心」の現在のクォリティをキープしようとしている。


そこへもってきて、新雑誌の編集長は、「発心」に新雑誌との合併を提案。吉野編集長はコンセプトの違いを理由に即座に断るが、さて「発心」の未来やいかに……というところなのである。脚本家がどのような結末を用意しているのか、興味しんしんで、この後の展開を見守っている。


こういうことは編修・出版業界ではよくあることで、たしかぼくの知人がやっていた地域情報誌も大手新聞社系の地域誌の参入で、広告スポンサーを持っていかれてピンチに陥っている、というような話も聞いたことがある。広告を主たる収入源にしている場合、宿命的に読者よりも広告スポンサーに顔を向けた紙面づくりにならざるを得ない。これは当然のことで、広告で飯を食っている雑誌は、いつも広告主の顔色を伺っている。これは地方の小雑誌だけではなく、大手の新聞もテレビも全く同じである。


いい雑誌、読者に支持される雑誌を作りたい、という場合、考えられるのは購読料だけで経営していける体制を作ることだが、これはほとんど無謀な企てだと断じざるを得ない。というのは、今は無料で講読できるフリーペーパーやウェブサイトが五万(今や五万では多数を表わせないから、五億か?)とあるから、よっぽどの希少情報や独創的な記事が無い限り、購読料だけの雑誌は成り立ち得ない。


もちろん定期購読だけで成り立っている、例えば、歯科医師や投資家など、特定の読者向けの雑誌はあるが、それはそれを作れるだけの資金と営業力、そして人材がなければならないから、普通の人間がそれだけで暮していける雑誌の創刊を企てるのは無謀としか言いようがない。


しかし世の中には、雑誌好きも多く、何とか自前の定期刊行物を出そうと企てる。例えば、ぼくらが95年に始めた『ブレイン・サラダ』という同人誌は、関西ライターズネットワークという任意団体が発行していたが、いわゆる典型的な「三号雑誌」で、創刊3号で終刊に追い込まれた。


その原因は、いろいろあるが、資金不足ということに尽きる。ほとんどがフリーランスや雇われ編集者、ライター、デザイナーのネットワークが好きだからという理由だけで雑誌を続けていける、と考えるのはやはり無理があった。クオリティ的には『ブレイン・サラダ』はかなりのものだったと思うのだが、生活の糧をほかの場で得ている限り、同人誌への過度の労力や資金の提供は無理だった。


やはりどうしても、紙の媒体にはかなりの資金が必要となる。紙代、印刷代、郵送料など、たとえ制作費をボランティアで賄っても、いろんな雑費がかかる。だからもし、本当に伝えたいことがあるなら、ネットを使う以外にないと思うし、ブログやメルマガなど無料の媒体をいかに使うか…がいまぼくら一般市民には問われている。しかしなお、紙媒体には魅力があるのだなあ。手に持てる、ページをめくれる、小脇に挟んで持ち運べる、一覧性に優れている等々、デジタルがいくらがんばっても絶対に勝てないモノとしての確かさがあるのである。