大川端だより(420)


高校のときの友だちに古川くんというのがいて、彼には二つの特徴的なクセがあった。
一つは、新刊書を買うと、必ず表紙のカバーをすべて引っ剥がして、図書館の本のように「素」にしてしまうこと。
もう一つは、「エビフライは尻尾がいちばん旨いねん」とかいって、尻尾まで食べてしまうことであった。


上等のエビフライの尻尾は確かに美味しく、ぼくもそれ以来、真似をしてカリッと揚がった香ばしい尻尾は大好物である。心斎橋の確か「べにます」とか言う名前のお洒落な小さなレストランだったが、一、二度、古川くんと行ったことがあった。彼はやつし(わあ古い大阪弁!)で、大人びていて、当時の高校生なんか絶対に行かないようなそんな店を知っていたのだ。今でもあるのかしら?


もう一つのクセについては、本が汚れるので真似したことはないが、確かに日本の出版社と書店はあまりにも装飾、装丁、包装に拘りすぎるように思う。


因みに写真に掲げた『ばかもの』だが、上段左端から、小説本体、装丁カバー、書店カバー、そして下段のオビと、四つもの紙製品がある。絶対に必要なのは本体だけなのだが、販売戦略というか何というか、かなりの資源の無駄をしているように思う。一国の文明度は、紙の消費量に表われるとも聞くが、日本は文明過多なのかもしれない。


『ばかもの』のオビも凝っていて、左端と右端では幅(高さ)の長さが異なる。『ばかもの』という小説に対する出版社と装丁家の“思い入れ”は分かる(確かにイイ小説ではある)が、ちょっとやり過ぎ、って感じ。


どの外国の出版社も書店も、こんなにはゴテゴテと装飾、装丁、包装過多にするところは見たことがない。


高校生ながら古川くんは、エビフライの尻尾食いといい、装丁&書店カバー剥がしといい、独特のスタイルを持ったなかなかお洒落な、そして本質を突く、ステキな若者だったのだと今にして思う。今はどうしているのかな…。