大川端だより(408)


◆「非武装中立論」ふたたび by thayama


何を隠そうぼくは、日本社会党が存在していたとき、選挙ではいつも同党の候補者に1票を投じていた。その理由は、左右対立の激しかった冷戦時代、どちらかと言えば社会主義的な考え方をしていたこともある。


因みに、社会主義とは、スーパー大辞林によると、「資本主義の生み出す経済的・社会的諸矛盾を、私有財産制度の廃止、生産手段および財産の共有・共同管理、計画的な生産と平等な分配によって解消し、平等で調和のとれた社会を実現しようとする思想および運動」とある。


この定義で前提となっている「資本主義の生み出す経済的・社会的諸矛盾」が皆無だとする人は現在でもいないだろうし、むしろ諸矛盾が急速に増大している、と考える人も多いだろう。また、結論である「平等で調和のとれた社会を実現」することに異議を唱える人も少ないのではないだろうか。要は、それを実現するための手段の部分「私有財産制度の廃止、生産手段および財産の共有・共同管理、計画的な生産と平等な分配」で留保せざるを得ないのだろう。


……と、まあここまでは議論の前段である。ぼくがいつも社会党に1票を投じていたいちばん大きい理由は、かの党の非武装中立論への肩入れだった。最近悲しいのは、非武装中立を言い出した途端、「フン」と鼻先でせせら笑う自称リアリスト(現実主義者)たちが増えたばかりではなく、フツーの市民の大多数が彼らの似非リアリズムに説得されているように見えることである。


もちろん、「非武装中立」の反対概念は「武装同盟」である。この国は憲法では前者のコンセプトを標榜しているが、現実には日米安全保障条約によって後者のコンセプトで立国している。


では、世界史の中で今まで「非武装中立」を実現した例はあるのだろうか?


スイスは永世中立国としてつとに有名だが、武装国家であり、若者たちには兵役の義務を課しているし、コスタリカは非武装国家ではあるが、1948年に米国主導で成立した米州相互援助条約(リオ条約)に加盟しており、集団安全保障体制に組み込まれている。また、麻薬取締協定によって、アメリカと共同で取締りを行っており、米軍のコスタリカ領への寄港と領土使用を容認しているという。つまり、コスタリカ領の一部が事実上軍事基地化しているとも言えるわけで、軍隊は廃止しても、国防は集団安全保障体制と米軍によって担保されている。つまり、非武装中立とは言いがたいのである。


さてわが国だが、日米安保体制は軍事同盟なので、同盟国であるアメリカへの攻撃を日本への攻撃と見なして反撃する権利「集団的自衛権」が問題となる。双務性を考えるなら当然、米国が攻撃された場合、日本は参戦しなければならないが、平和憲法があるため、歯止めが掛かっている。しかし、憲法を改定して“まともな軍隊”を保有し、給油だけでなく“米国の戦争”に直接参加したい勢力も増えているようだ。


で、非武装中立論である。これを口の端に上らせた途端、中国の軍事大国化と北朝鮮核武装を論拠に、その“ナンセンス”をわめき立てる輩がなんと多いことか。しかし最近、中国とアメリカはG2化が急速に進んでおり、“戦略的パートナーシップ”とまで言い合っている。喉から手が出るほど中国市場を必要としている米国資本と、開発のために米国資本が必要な中国が喧嘩するはずがない。また、北朝鮮が中国とアメリカの意向を無視して日本を核攻撃すれば、たちまち自国が滅亡の急坂を転げ落ちることは充分承知しているはずだから、そんな自殺行為に走るわけがない。


政治的な解決を軍事的な強制力に求めることは、軍事的優位性に活路を求めることに他ならないから、いつまで経っても軍拡競争は止まらない。だから、どんどん軍艦や戦闘機、爆弾が急進化、効率化され、その破壊力は未曾有のものとなっている。だからこそ、所有していても使えないから平和のために有効だ、というのが抑止論である。…がしかし、この論の陥穽は、一旦使用されたら人類が滅亡する、という万が一の可能性を絶対に払拭できないことである。


つまり、できるだけ早く軍拡競争の際限のなさに気づき、そんなことに貴重な資源や資金、人命を費やすのではなく、貧困や病苦の撲滅、福祉の充実のために使うほうが結果として無益な戦争を無くすことになる……と覚醒し、その道を実際に歩み始める勇気を持つところが最終的な勝利を収めることになるだろう。それができるのは、基本コンセプトとして非武装中立を掲げる憲法を持つ日本社会しかないのである。