大川端だより(399)


8月30日の遊学亭は面白かった。犬猫問題の深さと、市民活動としての「公」との協働の質の高さに感心。ゲストの荒井さんは、まだ若いのに相手の立場をいつも慮って活動しておられるので、これだけ質の高い成果が上がっているのだと思った。犬猫問題には人間のさまざまな課題が詰まっている。


9月に入って1日に京都の「ベーシックインカム要求者組合」を取材。…とはいっても、独自事務所があるわけではなく、十条(近鉄)の近くにある日本自立生活センターにお勤めのWさんをインタビュー。氏は「ベーシックインカムを学ぶ会」と「ベーシックインカム要求者組合」の二つを学習と運動の両面でやっておられるのだ。これは、ウォロの10月号で「ベーシックインカムの実現可能性」についての特集をするためである。今回の特集には『ベーシックインカム入門』の山森亮氏や京都府立大学の小沢修司先生、またクリフォード・ヒュー・ダグラスの理論をベースにBI論を展開されている関廣野さんにも誌面にご登場していただくことになっている。12頁の充実した特集になりそうだ。


それから、先日発行したメルマガ「市民ライター通信」の164号に、関さんの講演録を下敷きにした下記のような記事を書きました。今回は「その2」ですが、「その1」は下記URLから読めますので、興味のある方はドウゾ!

http://d.hatena.ne.jp/thayama/20090731


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┃┃■ 黒ビールでも飲みながら……(141)
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 「急激に高まっているベーシック・インカムへの関心」:その(2)

▼BI(ベーシック・インカム)について言及すると、必ず持ち出されるのが
「財源をどうするのですか?」という質問である。所得税や消費税の増税、と
いう回答では、なかなか人々を納得させることができない。所得税が高すぎる
と、市民の可処分所得は減少するし、消費税が50%とかになると、物価が高く
なりすぎて庶民の財布の紐は必然的に堅くなり、モノが売れなくなる。だから、
全く違う発想をする必要がある。


国債を発行して銀行等に買ってもらい財源を調達する、というのは一番やっ
てはいけない方法である。なぜなら、負債は必ず利子をつけて返済しなければ
ならないため、今でさえ膨大な累積赤字をさらに膨らませることになる。また、
前述したように、所得税にせよ、消費税にせよ、増税路線はフツーの市民の可
処分所得を減らすので、物が売れなくなって消費市場が縮小する危険性がある。


ケインズは人間の欲求には絶対的要求と相対的欲求があると言った。前者は
「衣」「食」「住」など、人間の生存にとって不可欠な基本的な欲求である。
しかし後者は、他人と違ったモノを所有して他者と差をつけたい、という欲求
である。関さんは次のように言う。


▼「1980年代以降の先進国の経済はまさにケインズのいう相対的欲求、人に差
をつけたいという欲求で動く経済でした。しかしそんなことではやはり経済は
回って行かなかった。そしてレーガン時代にアメリカは世界最大の債務国に転
落し、貧富の差が拡大し、さらにグローバル化によってアメリカ国内の産業は
空洞化するという状況になりました。といってその後のクリントンにせよブッ
シュにせよ、レーガンからの方針転換をやったわけではない。結局レーガン
命の延長線上であれこれバブルを起こして何とかレーガン路線を復活させよう
としてきた。そこでバブルをあれこれ起こした挙句、3度目の正直で今度の住
宅バブルでこけたということだと思います。」


▼現代は過剰資本の時代である。ある意味で今の経済は完全投資状態と言えよ
う。投資すべきものにはほとんど全て投資されてしまっており、人間の基本的
欲望はおおむね満たされてしまっている。そういう経済状況の中で、使い途の
ない資本をどうするのか…。現代の経済は過剰資本の処理で困っており、「資
本の過剰が恐慌の原因になっている」ということだ。資本家にとって、大規模
な新規投資の機会がほとんど無くなってしまっているのである。関さんは言う。


▼「多分20世紀初めくらいまでに、人間の基本的欲求はほぼ満たされる状況が
成立していたのではないか。それならそれ以降資本主義は何をやってきたか。
産業革命の使命が果たされてしまったので以後は、無駄なものを作る、がらく
た、贅沢品を作る、危険な兵器などを作る。こういう状態の資本主義になった
んですね。これが20世紀が戦争と環境破壊の世紀になった根本原因であります。
すでに20世紀の初頭に産業革命がほぼ完了し、資本が過剰になる時代が始まっ
ていたと私は考えます。」


▼つまり、人間は100年ほど前から、過剰資本の投資先を無理やりにこしらえ、
自然や人間の暮らしにとってのガラクタやゴミを作る産業をむやみやたら膨張
させてきてしまったのである。絶えざる経済成長を金科玉条とし、そのために
不必要かつ有害なモノを膨大に生産するという経済は、いつか行き詰らざるを
得ない、しかし、そのことに薄々感づいてはいても、経済システムがなんとか
回っている間は、根本的な改革に手をつけようとしないのである。(続く)

(※この記事は、ベーシックインカム・実現を探る会/フォーラム・スリー
主催の「第2回ベーシック・インカム入門の集い」における関曠野さんの講
演録「生きるための経済 ― なぜ、所得保証と信用の社会化が必要か ―」
http://bijp.net/sc/article/27)を参照にしています。)