大川端だより(397)


天王寺大阪市立美術館福沢諭吉展を観にいってきた。……といっても、4,5日前のことだけどね。平日だったにもかかわらず人が多かったのにはビックリした。それも老若男女、たくさんの人が観に来ていた。福沢諭吉は人気があるんやなあ…と感心した。


彼に娘が5人もいたことや、スピーチを演説と邦訳したことなどを知った。特に興味深かったのは、福沢が一番重要なメディアと考えていたのが新聞と「演説」だったということ。演説というのは、それまでの江戸期の日本にはなかったものらしい。いわゆる立会演説会のようなものを始めたのは福沢で、演説会用のホールまでつくっている。もちろんラジオもテレビもなかった時代だから、多くの人に自分の考え方を知ってもらうには活字もしくは演説という形の肉声しかなかったわけだ。


展覧会の後、久しぶりに慶沢園を訪れた。若いころは時々、本を読んだりするために行ったものだが、全然変わっていなかった。特に、中にある古い四阿(あずまや)が好きだった。四阿は東屋とも書き、大辞林によると、「東国風のひなびた家の意という」とある。その後、よくフォーク集会やティーチイン、街頭カンパなどをした天王寺公園により、グリーンハウスなどを見たが、この公園は昔とはずいぶん違う様子だった。昔は入場無料だったしね。