大川端だより(391)


土曜日は団塊アクションの定例会議、日曜日は伊勢市で講座と、忙しかったので今日のボラ協の朝の十時からの常任運営委員会には寝坊をして出席できなかった。


本日20日発行のメルマガ「市民ライター通信」の第70号に下記のような記事を書きました。


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■【3】 古いパスポート ☆彡
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                               thayama


ぼくが初めて海外に出たのは1971年のことである。もう40年近く前のことにな
る。あと2ヶ月ほどで25歳になる24歳の5月12日のことだった。所持金は、現
金で234ドルとトラベラーズチェックで700ドル。千ドルに満たないが、当時は
1ドル=360円だったので、締めて336,240円。いまドルは100円を切っている
が、当時は現在の3倍以上価値があったので、大体100万円ぐらい持ち出した
計算になるだろう。


横浜から船でソ連(当時)のウラジオストックもしくはナホトカまで行った。
この辺りは記憶が曖昧な上、ソ連のスタンプがロシア文字なので読めないのだ。
おそらく3日ぐらいかかったと思う。そこからシベリア鉄道に乗り、バイカ
湖などを見ながら、モスクワに着くまでに1週間程度かかった。ある人のブロ
グによると、現在ウラジオストックからモスクワまでは6泊7日ということだ
から、昔も同じぐらいだったということである。この行程の手配を「日ソ・ツ
ーリスト・ビューロー」という旅行代理店に頼んだが、それ以外の全行程で、
ホテルやチケットの手配は全部自分でやったように記憶している。


そして、フィンランドヘルシンキに着いたのが、おそらく5月25日だと思う。
パスポートのスタンプが薄くてうまく読めないのだが、「25 V 1971」と印字
されているので、Vはローマ数字の5だと思うから、ほぼ間違いないだろう。
横浜からヘルシンキまで約2週間かかっている計算になる。帰国は、75年の2
月6日である。5年間弱の長い旅だった。


ヘルシンキのあとはスウェーデンストックホルムに6月30日に入り、9月23
日まで90日間滞在が可能だったが、9月15日にはデンマークに出ている。たぶ
ヘルシンキに1ヶ月強、ストックホルムに3か月弱いて、デンマークに入っ
たようだ。その後、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、スペイン、イタ
リア、ギリシャ、トルコなどを、主にヒッチハイクで巡り、71年11月22日にイ
ギリスに渡っている。


ロンドンに2年ほどいたあと、横浜から一緒に旅立った高校の同級生Hがスウ
ェーデンのストックホルムでカナダへの移民申請をしてバンクーバーに住んで
いたので、かの地へ赴き1年ほど住んだ。大阪と京都以外で長く住んだのはロ
ンドンが約2年、バンクーバーが約1年、そして後に交換留学した米国オハイ
オ州のスプリングフィールドという小さな町に1年ほど滞在した。留学した時
は、77年8月18日に出国し、78年8月24日に帰国している。


最初の約5年間の遊学時代のあと、帰国して小中学生向けの壁新聞を作ってい
大阪市内の会社に編集希望で就職したが、結局編集をしているのは東京本社
で大阪支社は営業だけ、ということが分かり、10ヶ月程度で退職。関西外国語
大学の3年に編入したのが、76年4月。翌77年の9月スタートのオハイオ州
プリングフィールドのウィッテンバーグ大学の前期授業に交換留学生として受
講している。


このときぼくはすでに30歳で、今でもよく憶えているが、社会学の最初の授業
のとき、女性講師が学生に自己紹介をさせた。みんなサークルになって、順番
に自分の隣の人を次々紹介するというアイスブレーキングである。最初から3
番目ぐらいはみんなの名前を覚えていても、5人を過ぎると、なかなか覚えら
れない。ぼくの番がきて名を名乗り、「I'm 30 years old.」と言ったら、ほ
とんどは新入生だったので、つまり18才とか19才だったので、よっぽど大人の
学生だと思われ、「えっ、そうなん!!!」的な反応があったことは今でも忘
れられない(笑)。


いま、ぼくの手元にパスポートが3冊ある。1冊目は遊学時代、2冊目は交換
留学時代、そして3冊目は、1988年に韓国旅行をしたときの赤い表紙のもので
ある。つまり、三冊の古いパスポートがあるのだが、それぞれの自分の写真を
見ると驚愕する。最初のパスポートの写真は、黒縁メガネをかけ髯も生やさず、
いたってサラリーマン的で、この写真を見せるとみんな笑う。ところが、後の
パスポート写真はどちらも髯を生やし、どちらかというと胡散臭い業界人風に
なっている(苦笑)。


88年以降、ぼくは海外旅行をしていない。若いときにじゅうぶん旅はしたので、
もうええやろ、という感じがある。長期間ヒッチハイクで旅をしていると、
「どこでも一緒。人間はみんな同じ」と短絡してしまうのである。でも本当は、
それぞれの場所で、それぞれの流儀で人間は生きているのだから、きちんとそ
れを見届けないといけない。なのに、あまりにも長い旅に倦んでしまうのだ。
若いときの長旅が本当によかったのかどうか、古いパスポートを見ながら"煩
悶"している今日この頃である。そういえば若いころはきれいな景色というも
のにあまり関心がなかったなあ。ただ人間の姿を追い求めて徘徊していた。可
能ならもう一度、"絶景"をもとめる旅をしてもいいなかとも思う