大川端だより(351)


2月下旬から3月2日までバンクーバーから友人(日本人)が帰国しており、いろいろ話をする。彼とは二十歳代に最初に海外へ一緒に出た仲である。カナダに移民してからそろそろ40年になる。カナダ国籍は取っていないが、長年働いているので年金ももらえるそうだ。向こうの状況もなかなか厳しいようだが、幸い彼は仕事も順調なようで安心した。広島で英語を教えている彼の息子も大阪に来て、一晩痛飲する。昔の友だちは良いものである。


いま話題の天童荒太直木賞作品『悼む人』を読了。とてもいい作品だとは思うが、亡くなった人を悼むという行為の重要性を、ぼくはこの小説ほど大層には考えていない。確かに事故や事件、戦争で多くの人たちが死に、その人たちの死の重さについてほとんどの人は気にも留めないが、でもどうしろというのだろうか。この小説の主人公「静人」のように死者を悼んで全国を回るなんて行為はとてもできない。「死」はそれほど重いものではないのではないか。これまで地球上に生命が生まれてから、何億、何兆、いやひょっとしたら何京という数の命が無くなっているのだから、人が死ぬのもその膨大な死者の列に加わるだけなのだから……。