大川端だより(341)


「二回路制のデモクラシー」


現在の日本政治の散々のていたらく観察していると、なぜこんなことがまかり通るのか、との疑問ばかりが頭のなかを駆け巡る。とにかく決定のスピードが遅過ぎる。1人1万2千円の定額給付金の問題にしても、昨日あたりの国会中継でもまだ政府と野党がその是非について議論していた。


篠原一さんの『市民の政治学〜討議デモクラシーとはなにか』(岩波新書 700円+税)によると、ドイツの哲学者、ハーバーマスが民主主義の二回路制ということを提案しているらしい。「法が妥当するためには討議が必要であり、やや単純化していえば、政治システム内の討議・決定と、生活世界に根ざした市民社会における討議という二回路システムの存在が強調される」。(『市民の政治学〜討議デモクラシーとはなにか』108p)


第一の回路はいうまでもなく、既存の議会制民主主義システムである。そして第二の回路が市民による討議デモクラシーであり、具体的にはプラーヌンクスツェレ(計画細胞)やコンセンサス会議など、市民参加による討議と提案のシステムである。今や制度疲労のため機能不全を起している間接民主主義に対して、直接民主主義的な民意の回路を用意することが必要なのだ。


ぼくは二回路制は、政治だけでなく、さまざまな分野で必要になっていると思う。マスメディアのジャーナリズムという第一の情報回路に対して、ブログや市民活動系のミニコミなどの第二の回路。また、専門家による学問や科学の第一の知的回路に対して、レイ・エキスパート(素人だけど専門家なみの知識と情報を持っている人)による第二の批判的回路等々。


いろんな分野で市民が関わる第二の回路を形成することによって、古い権威主義的な第一の回路がより民主的なものに変質していく。そして、第二の回路もまた、信用や権威、安定性などを確保していく。そういう相乗効果がないと、第一回路だけではこの激変する社会(世界)に対して創造(想像)的な企画や提案はできないのではないかと思う。社会的イノベーションは、2回路制の社会を築くことによって可能となるのではない