大川端だより(327)


「フィールドワーク市民塾6」参加レポート


6日の土曜日は朝からフィールドワーク市民塾6で中之島界隈を1日散策。今年の冬一番の寒さで、凍えるようだったが、お天気は良く、絶好のフィールドワーク日和だった。午前中は大阪歴史博物館学芸員の酒井先生に「中之島の近代建築の魅力と市民の力」というタイトルでレクチャーをしていただいたあと、展示の自由見学。とくに特集展示の「大阪市中央公会堂の建築・美術・舞台」については酒井さんに詳しい説明をしていただいた。


中央公会堂については、このブログでも度々写真を掲載しているが、いやあ知らなかったことが多かった。建設費を100万円(現在の金額に換算すると50億〜100億円)も寄贈した岩本栄之助については、株屋が儲けた悪銭を名誉心から大盤振る舞いした、というようなイメージを持っていたが、そんなことでは全然なかった。岩本は明治42(1909)年にアメリカの招きで渡米実業団(団長・渋沢榮一)に参加し、そこで多くのビジネス人がボランティアで社会貢献する姿を見聞して感銘を受け、世話になっている大阪への恩返しとして公会堂を建設することにしたのである。大阪市役所がまだ粗末な木造建築だった時代に、岩本は市民のための公会堂の建設に固執したという。実は彼は、公会堂の完成(大正7<1918>年11月)を見ることなく、自殺してしまうが、原因は株価の大暴落による損失の責任を取ったためだった。


公会堂のデザインについては、当時としては珍しい設計コンペが行われ、応募者の中で一番若かった29歳の岡田信一郎の作品が選ばれた。岡田ももちろん有名な建築家ではあったが13名の応募建築家は全員、当時の日本を代表するエキスパートだった。


また、公会堂は1999年から2002年にかけて保存・再生工事が行われたが、70年代には取り壊しの危機もあったという。しかし、保存を熱望する大阪市民の運動があって、この大阪を代表する名建築が残ることになったのである。今、中之島に中央公会堂が存在しない姿を想像すると、そんなことはあり得ようがない、と思ってしまうが、市民による保存運動の大切さを再認識させられた。


土木や土木工学のことを英語でシビル・エンジニアリングと言うが、「市民社会の基盤整備」という意味であって、日本のように公共工事に群がる“土建屋さん”のイメージはない。景観を含めての社会的インフラ、ということを考えると、建設ももちろんそうだが、普段からの市民・住民の意識が問われていると思う。


各自で昼食をしたあと、午後は北浜証券取引所に集合して、フィールドワークを開始。本当に寒かったが、普段見過ごしている中之島界隈の町の風景の中に、さまざまな名建築があることに驚いた。大阪倶楽部高麗橋の村ビルディングなどを見学したあと、緒方洪庵適塾の中も見て、最後はダイビルの喫茶店大大阪」にて、美味しいコーヒーを頂き、NPO法人水都大阪水辺のまち再生プロジェクトの理事・末村さんのお話を伺う。最終的にはJR福島駅近くの居酒屋で講師の酒井さんにもご参加いただき、大いに話が弾みました。