大川端だより(321)


昨日掲載した「黒ビ」の中で言及した「あなたたちは“公務員市民”である」という
記事を下に貼り付けておきますので、興味のある方はお読みください。


タイトル:「あなたたちは“公務員市民”である」


●最初に就いた仕事は地方公務員だった


実はぼくは、高等学校を卒業して社会人としての人生を地方公務員からスタートした。1965年のことだった。後にぼくがどちらにも関わることになる、ベ平連ベトナムに平和を!市民連合)と大阪ボランティア協会が発足した年である。親を含めたまわりの人たちからの勧めと、自分自身の「公務員にデモなろうかな…」、「公務員ぐらいにシカなれないから」との、当時流行っていた言葉でいう“デモシカ”公務員の誕生である。いたって消極的な理由からの進路選択だった。


当時の花形職業と言えば商社マンである。世界を股にかけて仕事をするビジネス・エリートのイメージは、日の出の勢いだった日本経済の実力ともあいまって、若者たちの憧れの的だったように思う。それに比べて地方公務員のイメージは、地味で安定志向の小役人、というところで、なんの華々しさも夢もない、ちょっと言い過ぎかもしれないが、どちらかというと“負け犬”に近いニュアンスで、ぼく自身は捉えていたように思う。


そんな自己イメージしか持たない高校出たての若者にとっても、仕事の内容が面白ければ、また仕事が本当に人びとの役に立っている、との実感があれば、救われただろう。しかし、ぼくが最初に配属された部署は広域自治体の本庁ではなく出先機関で、職務は文書係や経理係であり、何ら興味の持てない事務仕事だった。そして、その仕事を年に一回の監査のために行うのである。監査人に突っつかれないように書類を普段から整えておく、というような仕事が若者の正義感や冒険心を満足させられるはずがない。


またその当時、世界は熱い“政治の季節”を迎えており、アメリカやフランスで、そしてチェコスロバキアで、若者たちが反戦と反体制の旗印を掲げて反乱を起していた。同じく日本でも、ベトナム反戦と反安保のデモが連日のように繰り広げられ、学生たちは学内民主化やマスプロ授業粉砕をスローガンに走り回っていた。


ぼくにとって自治体職員という職業は、一刻も早く辞すべきものだった。しかし結局、6年間も居座った。当時、地方公務員の給料は決して高くなかったと思うが、その安定した収入というエサのために、ベトナム反戦と反安保、反万博の運動が行いやすいポジションに留まり続けたのである。だからぼくの思い出の中では、あの60年代後半という時期は、仕事ではなく反戦市民運動によって占められており、税金で食わせてもらっている「公務員」という自覚はほとんどなかったと思う。


●「地方公務員ほど面白い仕事はない」という言葉の驚き


時は移り、ぼくもご他聞に漏れず、海外放浪や何度かのジョブ・ホッピングの末、1990年代になって、フリーライターという名の四十路のプロレタリアート(無産階級)になった。そして、ひょんなことから、NPO、市民活動の分野に首をつっこむことになる。そこで、何人かの地方自治体職員に出会うのだが、その中の1人の言葉は、ぼくには非常に鮮烈であった。
「地方公務員ほど面白い仕事はないと思う」


彼とぼくは、同じNPOの広報誌の編集委員を務める仲間なのだが、彼は年齢的にはぼくより20歳ほど年下である。地方公務員という職業を自ら選び、勤続約20年。現在は、さまざまな福祉サービスの支援を行う部署におり、大いにやりがいを感じている様子である。彼は中途採用であるが、前職の在職期間はごく短かったようだ。 


地方公務員としてのメリット、仕事のやりがいや面白さを訊ねると、「前の会社でいろいろな社会矛盾を知って、もっと社会の仕組みを知りたかったので、学び直そうかと思ったのですが、法律や社会制度を使って働く公務員なら、仕事をしながらそれが学べる、そして学ぶだけでなく、不十分な点を変えられる。世間の人はそのために、大学院で授業料を払って勉強したり、市民運動の中で費用と寝る時間を削ってやるんだけど、公務員はそれをやりながら、逆にお金がもらえる。こんなボロイ商売はない、と思ったのが、志望動機です」と笑いながら答えてくれた。彼の論点を要約すると、?公務員は給料をもらいながら、?社会的な矛盾や仕組みについて学ぶことができる、ばかりではなく、?現状の不十分な点を修正・変更できる、というのである。


福祉サービスがやりがいのある仕事であることは間違いない。考えてみれば、行政というのは、最大のサービス産業であり、人と接し、人のために行う“利他的”なやりがいに満ちた仕事であるはずなのだ。ぼくの場合は、その認識に至るまでに辞めてしまったので、監査のために行う事務仕事の空しさだけしか記憶に残っていないのである。


もっぱら利他的な仕事をして給料がもらえる、というシアワセをどれだけの地方公務員が実感しているのだろう。おそらく多くは、よっぽどのことがない限りクビにならないとか、給料が安定している、定時に帰宅できる、といった職業としての安定感で地方自治体に就職したのであって、仕事の利他性を選択肢の第一番として選んだわけではないだろう。それはそれでかまわないと思うが、これからの時代、公務員の職業としての安定性は、夕張市の例を持ち出すまでもなく、決して磐石とは言えない、ということを認識しておく必要がある。ますます少子高齢化する人口減少社会において、いつまでも公務員だけが安穏としていられるわけがない。


●「公務員市民」としての位置づけ


 政府・行政を第1セクター(公共セクター)、営利を追求する私企業を第2セクター(営利セクター)、そして市民活動・NPOなどを第3セクター(市民セクター、非営利セクター)と呼ぶ、国際的な慣わしがある。官民の共同プロジェクトを第3セクター方式と呼ぶのは日本独特の言い方である。


地方自治体というのは言うまでもなく第1セクターに属しており、その特徴は、公共・公益のための仕事を、税金を使ってすることである。自治体職員の賃金もまた、税金でまかなわれている。つまり、地方公務員の雇用主は、もちろん「納税者」としての「市民」である。納税者の中には、一般市民という名の無名の勤労大衆もいれば、世界的に有名な企業市民もいる。もちろん、障害者市民や高齢者市民の中にも大勢納税者はいる。


ここで、これまでぼくが、「国民」や「住民」ではなく「市民」という言葉を使ってきた理由を述べておこう。「国民」というのは日本国の国籍を有している人びとという意味だから、在日外国人などは含まれない。また、「住民」というのは、ある地域に住んでいる人という意味で、ほとんど政治的には“無臭”の言葉である。ところが逆に、「市民」は何かと物議をかもす言い方である。英語の「シチズンcitizen)」を「市民」と翻訳したのは福沢諭吉だが、その言葉自体と意味内容は明治以降、第2次大戦における敗戦まで、日本社会ではほとんど“市民権”を得られなかった。もちろんそれには理由がある。


明治憲法下では、日本の民衆は天皇の臣民だったから、自立した政治主体である「市民」として受け入れられなかったのは当然であった。また戦後は、左翼勢力が強すぎて、市民性よりも労働者性が強調された。ところが、1980年代に入って、日本がポスト工業社会、高度情報社会に突入し、市民たちが、生産現場の労働者としてよりも消費者・納税者としての存在感を大きくするにしたがい、主権者としての主張が前面に出て、地域でさまざまな市民活動が活発化する。また、国民や住民、大衆や庶民と言った言葉よりも「市民」を好んで自称する人たちが増えてくる。そして、自治体職員もまた、公務員である以前に、納税者であり消費者であり、主権者でもある「公務員市民」としての自覚を持つことが期待されているのではないかと考える。


ぼくが何を言いたいのかというと、地方公務員の中に時々見かける、市民との間に壁を設けるような職員に対して、「あんたらも市民やないか」と言いたいのである。「無理なことを言う市民もおられますからね」とか「市民自治なんてとてもまだまだ」というようなことを言う前に、「アンタこそ市民としての自覚をもちなさい」と言いたいのである。


大阪ボランティア協会の早瀬昇・事務局長は、市民と公務員の関係を「NPOにおける会員と専従職員の関係」に対応するもの、として捉えることを提唱している。そして、NPOの会員と専従職員(事務局)が同じ目標(ミッションの実現)を共有しているように、市民と自治体職員も「住民による自治的な共同体運営」というミッションを共有しているはずだという。(市民活動総合情報誌『Volo(ウォロ)』2007年7・8月号「時評」参照)


「市民自治の専従者としての公務員」というのは卓見である。ただし、本当に「住民による自治的な共同体運営」というコンセプトが市民と公務員の両者によってシェアされているかどうかが問題となろう。


●市民活動への参加が「公務員市民」への最短距離


先ほどのセクター論で言えば、いま世界中で重要視されつつあるのが第3セクターである。第1の行政セクター、第2の営利セクターに対して、第3セクターは非営利セクターとか市民セクターとも呼ばれ、企業や政府(行政)にはできない分野の仕事をしている。広義には、私立学校や労働組合もふくむこともあるが、ここでは市民活動、NPO/NGOと狭義に解釈しておこう。世界中で市民セクターが拡充されつつあるのは、さまざまな理由があるだろうが、その一つに、社会主義勢力の減退ということがまず挙げられるだろう。総キャピタリズム化する世界の中で、資本主義の矛盾の集積がさまざまな社会的課題をもたらし、その解決主体として脚光を浴びているのがNPO/NGOであり、市民活動なのである。


そのような状況下において、前述したぼくの市民活動仲間のように、市民セクターに関わる公務員が増えているように思う。というのは、自治体の中に「市民活動推進課」とか「NPO推進室」といった、市民セクターに関わる部署が増えていることもあるし、公設公営、公設民営などの形で、各地域にボランティアセンターやNPO推進センターなど、市民活動を推進するための中間支援組織(インターミディアリー)を開設する自治体が非常に多くなってきたこともある。大阪ボランティア協会では過去何回か自治体(県)から職員を研修生(インターン)として受け入れたことがある。東京の日本NPOセンターなどでも何人か行政からのインターンがいるようだが、ぼくの観察では、市民活動団体で実際に仕事をすると、行政職員の顔がだんだん「市民」の顔になっていくように思う。


自治体職員が「公務員市民」として本当に市民性を身につけるための最良の方法の一つが市民セクター(第3セクター)に関わることである。自分の周りを見回して、興味を持てそうな市民活動、NPOに参加すればよい。地球環境に危機感を持っているなら、環境NPO、野良猫をかわいそうだと思うなら、「地域猫」活動をしている市民団体、老親を抱えて人の老後に切実な関心があるなら、高齢者施設でボランティアをするのもよいだろう。第1セクターに生活の基盤を置いている公務員が、第3セクターに積極的に関わることによって、「市民自治」が促進され、これからの社会に不可欠な「市民セクターの拡充」に繋がって行くことになろう。さらに多くの自治体職員が市民セクターに参集されることを期待している。(初出『月刊 地方自治職員研修』08年4月号)