大川端だより(316)


テレビ番組で前から気になっていたのが、朝のワイドショーなんかで時々やる“迷惑市民糾弾シリーズ”である。例えば、河川敷でのゴルフ三昧のおっちゃんたちや、犬屋敷やゴミ屋敷の住人、禁止区域で客待ちをするタクシーの運転手といった“困ったチャン”たちを取り上げる。そして、レポーターがカメラマンを連れて彼らを詰問する。


「ゴルフ禁止の看板が出てるじゃないですか」とか「犬の鳴き声や糞尿の臭いで近所の方たちは大変迷惑しておられますよ」、「ここが駐車禁止なのはご存知ですね」などと言いながら、マイクを突きつけてコメントを強要する。


確かに“困ったチャン”は困った人たちである。ぼくの周りにそういう人がいたら、抗議の声の一つも投げかけるかもしれない。しかし、それは、実際に自分が迷惑を蒙っているからである。でも、高収入で社会の上層部に属すマスコミ人が全国放送で取り上げて糾弾すべきことがらだろうか。相手は、いくら困ったチャンとは言え、フツーの市民なんだからサ。


マスコミは、立法・司法・行政につぐ「第4の権力」とさえ呼ばれ、その存在理由の一つは、他の三権力を監視することにあるはずだ。だったら、もっと他に追及すべきことがあるだろう。官界や政界、財界の巨悪たちこそ追及すべきだ。しかし、今のマスコミは権力には弱い、という印象が強い。フツーの市民に対しては、味方面をしているが、取り上げ方によってはその人の日常生活や人生まで無茶苦茶にしてしまう、という自覚が感じられない。


数日前に朝日放送(関東はテレビ朝日)の「スーパーモーニング」で取り上げていた“困ったチャン”は、秋葉原の無差別殺人事件の犠牲者のための献花台に置かれた飲食物を持ち去るホームレスたちだった。若いディレクター氏が献花台のペットボトル飲料を持ち去ったホームレスを追いかけて声をかける。


「そのペットボトル、献花台から取りましたね。犠牲者のために供えてあるものを勝手に持ち去って、亡くなった方たちや置いた人の気持ちを考えないのですか」というようなことを言って、マイクを差し出す。


テレビ画面で見ると、かなり大きな献花台で、幅3メートルぐらいもあるのではないか。たくさんのペットボトルが置かれているのが見えた。中には菓子パンやカップラーメンのような食品も置いてあるのかもしれない。そのことが東京のホームレスには周知のことで、わざわざ離れた地域から献花台の飲食物を求めてやってくるらしい。


その日の放送では「夜中の3時です」とか言っていたと思うので、「スーパーモーニング」の若きディレクター氏は、献花台を夜通し監視していたのだろう。腹を空かせ、喉の渇きを覚えてやってきた“弱者”に対して、倫理・正論を振りかざして糾弾する。「君はそんなことをするためにテレビ局に入ったのか」と、思わず心のなかで叫んでしまった。


思えば、昔は、例えば他人の家の葬儀で、物乞いや子どもが葬式饅頭をもらいに行くことはそんなに責められるべきことではなかった。ある意味では、持てる者から持たざる者への施し、所得の再分配のようなものとして、葬儀や祭事の飲食物はあった。お供え物が弱き生者の生きる糧になるなら、死者にとっては大いなる供養となるはずではないのか……。か弱き市民としては再度、マスコミは巨悪をこそ糾弾すべし、と大きな声で言っておこう。