大川端だより(314)


現在発売中の市民活動総合情報誌『Volo(ウォロ)』の特集はマンガ。
なかなか読み応えのある内容です。本当は、特集全体を実際にマンガでやりた
かったのだが、最初の4ページだけになってしまって残念。やはり、活字と絵
では、表現の得意・不得意がある。マンガで論理的な説明をするのは、やはり
難しい。定期購読のお申込みは、下記よりお願いいたします。

http://www.osakavol.org/volo/indexsb.html


本日発行のメルマガ「市民プロデューサー通信」152号に下記の記事を
掲載しました。


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┃┃■ 黒ビールでも飲みながら・・・・129
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 「ちと用ありてあの世へ」


俳諧の祖とも仰がれる連歌師山崎宗鑑。最近、彼の辞世を知った。
「宗鑑は何処へと人の問ふならばちと用ありてあの世へといへ」というもの。
これを、理想の死に方についての西行の有名な一首、「願はくは花の下にて春
死なむその如月の望月のころ」と比べてみると、その違いは明白である。これ
らの歌に、芭蕉が病床で詠んだ一句、「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」
を加えてもよい。


▼年代的には、西行が平安末期から鎌倉初期、宗鑑は室町後期、芭蕉は江戸初
期の人である。三人の共通点は、いずれも武家の生まれであること。それにし
ては、三人の作風が違いすぎる。簡単にまとめると、西行はナルシスティック、
宗鑑はオプティミスティック、芭蕉はペシミスティックである。


▼もちろん、三人の三作品だけを並べて比べているのだから、サンプル数の極
端に少ない統計みたいなもので、何ほどのことが分かるのか、と問われれば答
えに窮する。……が、しかし、三作品とも辞世もしくは死についてのステート
メントであるため、そこに詩人としての本質が現れているのではないかと思う。


▼ぼくは、五十代までは西行のこの歌が好きで、なんと清らかで美しく、理想
の死に方のイメージだと思っていたが、宗鑑の辞世を知ると、まあなんとナル
システィックな歌人なんだろうと感じるようになった。花、おそらくは山桜が
満開の満月の春の夜に死にたいなんて、自分の美意識に絶大の自信を持ってい
ないと、詠めない歌ではないだろうか。


芭蕉の句は辞世ではなく、病気の時のものだから、「ああ、芭蕉はんも陰気
になってはんねんなあ」という感じであるが、ただこの人はどちらかというと
陽性というより陰性で、「軽み」を強調したわりにはどこか深刻に人生や俳句
を捉える癖があるように思う。俳諧の「諧」は諧謔のことで、滑稽やユーモア
の意味なのだが、芭蕉の句にも生き方にもあまり明るさは感じられない。


▼翻って、宗鑑の辞世は滑稽で明るい。実は彼の一生はあまり詳らかでない部
分が多いが、ウィキペディアでは、「本名を志那範重、通称を弥三郎と称し、
近江国の出身とされるが、本名・出自については諸説あり定かではない。」と
している。室町幕府九代将軍足利義尚に仕えたが、義尚の陣没(延徳元年1489)
後出家し、摂津国尼崎または山城国薪村に隠棲し、その後現在の阪急京都線
大山崎」辺りに庵を結び、そのため山崎宗鑑と呼ばれたらしい。


▼「宗鑑さんは何処へ行かれた、と訊かれたら、ちょっと用事があってあの世
へ行っております、と答えておけ」と、おそらく病床で弟子たちに向かって一
首詠んだのだろうが、この軽さ、ユーモア感覚、あの世とこの世を通じている
ものとする感性には非常に惹かれるものがある。彼は戦国時代の人物だから、
人の死はたくさん見ているはずである。これはある意味で、非常にニヒルな滑
稽感なのかもしれない。(thayama)