大川端だより(311)


スピード社の水着で記録を伸ばして喜んでいるのはちょっとおかしい、と感じている人も多いのではないだろうか。出場選手全員が同じ水着を着るのではない場合、個人の身体能力と競技技術の問題ではなく、スウィムスーツの性能の話になってしまうからである。前提が不公平だと、試合を見る観客は鼻白んでしまう。


また、オリンピックは選手の能力の競い合いではなく、企業の開発競争なのだというのは一面の事実なのだが、マラソンなんかでもランニングシューズの性能によって結果が大きく異なるらしい。そう考えると、東京オリンピックの時にエチオピアアベベが裸足で走って優勝したことなど今の選手にはまったく信じられないことであろう。改めて彼の偉大さを思う。いっそのこと、水泳も全員真っ裸でやれば本当の実力の差が出るに違いない。


水泳というのはなぜ泳ぎ方の違いでスピードを競うのだろう。速いのはクロールなんだから、スピードを競うのは自由形、つまりクロールだけにして、長距離泳に向いている平泳ぎはスピードを競うにしても、もっと長い距離、3千メートルとか1万メートルを競うようにするべきだ。となると、バタフライというのは、単に体力の消耗が激しいだけで、水泳としてのメリット、速く泳げるとか、長く泳いでも疲れが少ないとか、そういうものがないのだから、あんまり意味がない泳ぎ方のように思える。