大川端だより(309)


5月20日に発行したメールマガジン「市民ライター通信」56号に下記の記事を掲載しました。「市民ライターとは何か?」についての一考察です。なお、市民ライター通信の無料定期購読は、http://www.mag2.com/m/0000119180.htmlよりお願いします。


わたしのシラロン(1)「歴史を紡ぐ者としての市民ライター」by thayama


シラロンとは市ラ論、すなわち市民ライター論のことである。このメルマガのタイトルにもなっている「市民ライター」という言葉をグーグルとヤフーで検索すると、「市民ライター通信」関連のものが1ページ目にずらずらと出てくる。つまり、市民ライターと言えば、このメルマガの専売特許のようなものになっているのである。


しかし、では「市民ライターって何?」と訊かれても、ぼくらにそんなに明確な答えがあるわけではない。もちろん、このメルマガの巻頭には、「あなたも市民ライターに!」という呼びかけ文が掲げてある。「市民が社会に向けて情報を発信するには、書くことが不可欠です。多くの市民活動はそこから始まっています。《書く力》を養い、《書くことで社会参加する》市民ライターになりませんか」とあり、市民ライターのイメージとして、1<書くことによる社会的な発信が大切だと考えている>、2<心情吐露だけに終わらず“レポート性”のある文章が書ける>、3<ペンが剣よりも強い世界にしたいと思っている>と、3つの具体的な人物像が書かれている。


しかし、この「わたしのシラロン」という新しい連載では、いろんな人たちの市民ライター論、市民ライターについてのイメージ素描を掲載していきたい。そこで第1回として、市民ライター養成講座の命名者であり、このメルマガの発行人でもあるぼくが書かせていただくこととする。


書くことと歴史の間には切っても切れない太い繋がりがある。手許の電子辞書のスーパー大辞林によると、歴史とは、「人間社会が時間の経過とともに移り変わってきた課程と、その中での出来事。また、それをある秩序・観点のもとにまとめた記録・文書。」とある。つまり歴史とは「書かれたもの」なのである。


誰が書いたのか、というと、時の権力者であり、権力者に雇われた学者だったりする。だから、今まで書かれてきた歴史はほとんどすべて権力者の歴史である。例えば中学校の日本史の教科書を引っ張り出して読んでみる。聖徳太子織田信長が考えたり、行なったりしたことは書かれているが、本当に歴史をつくっている民衆のことはほとんで出てこない。例えば、大坂城豊臣秀吉が造ったことになっているが、もちろん彼は石垣の一つにだって組み上げてはいない。すべては庶民である大工や石工や左官が造り上げたのである。もしこれらの庶民に文字を読み書きする能力があり、筆と墨と紙を買う金銭的な余裕がったら、彼らは自分で歴史を記したかもしれないが、そんなケースは稀少だった。


庶民の歴史を掘り起こすために研究者がやったことは、例えば、代々村の庄屋だった家の蔵などを物色し、家系図や古文書を探し出して、そこに書かれている内容から権力者や支配者のものとは異なる庶民の歴史を構築していくという作業だった。紙に書かれたものは、歴史家にとっての金鉱、いや“紙鉱”だったのである。


時代は移り変わり、庶民は市民と名を替えた。そして、書く力を身につけるとともに、インターネットという発表とコミュニケーションの場を獲得した。今、多くの市民たちがブログやホームページ、メールマガジンで自分たちの日常の行動や思考だけではなく、ほとんど森羅万象について書くことを始めている。彼らの書き残していくものは、インターネットという“電鉱”に蓄積されて行く。検索エンジンというブルドーザーを使えば、いつでも掘り起こすことができる。


そうすると、百年後の歴史書に2008年のことはどのように書き留められているのだろう。少なくともかつてのような権力者・支配者だけの歴史ではなくなっているはずだ。無数の市民ライター、デジタルライターたちが書いた電鉱を掘り起こし、本当の市民の歴史が編纂されているかもしれない。そう考えると、市民ライターとは、日々、自分たち自身の歴史を紡いでいる者たちなのである。