大川端だより(307)


本日発行の「市民プロデューサー通信」第150号に下記の記事を掲載しました。


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┃┃■ 黒ビールでも飲みながら・・・・127
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  愛と思いやりの革命家、ダライ・ラマ


▼全世界に新自由主義による暴虐の嵐が吹き荒れている。すべてを市場原理、
競争原理に任せると、当然そこには勝者と敗者が生まれる。また、市場原理は
金銭をメディアとしているので、経済至上主義にならざるを得ない。そこで、
ますます貧富の格差が広がり、強者はさらに強くなる。これが今、グローバル
に起こって格差社会化現象である。


▼これに対してみんな、どこかおかしい、と思っているのだが、「競争で負け
たんだから仕方ないやん」とか「自己責任じゃ」とか「アホ、ボケ、カスは黙
っとれ!」とか「国も地方も借金だらけでどうにもならん」とか「今さら福祉
国家が成り立つわけないやろ!」とか「小さな政府による民営化推進が正解」
などと言われると、「そやけど……」と口ごもって、二の句が継げない。


▼そんな風潮に対して、真正面から温和な笑顔で「それはちがう」と言い切っ
ているのがチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世であろう。ラマ(高
僧への尊称)によると、人間と社会の原理は「競争」ではありえず、「愛と思
いやり」でなければならない。こんなのを聞くと、「こそばいやっちゃな」と
か「なにをうざったいことを言うとんねん」と感じるのが、今の日本人の大半
なのかもしれない。しかし、師の言うことを虚心坦懐に聞いてみよう。


▼「我々は法律やルールで強制されて一緒に暮しているのではなくて、私たち
自身から自然に発せられる思いやりによって一緒に生活を営んでいるのです。
そのような愛と思いやりこそ、私たちの住む社会を一つにまとめていくための
正しい道であり、最も効果的な原動力となるものなのです。」(『目覚めよ仏
教! ダライ・ラマとの対話』上田紀行著 NHKブックス 以下引用は同書)


▼ここでダライ・ラマの言っているのは、中心的には家庭のことであろう。そ
して、家庭における「愛と思いやり」の原理を社会に敷衍することこそが正し
いし、最も効果的な方法だと言うのである。「……?」と思った人の中には、
夫婦仲の悪い夫や妻、親の暴力に痛めつけられている子どもなどがいるはずで
ある。しかし、師が言っているのは個々の家庭の事情を度外視した、原理的な
話であることを理解する必要がある。


▼「私たち人間は、この世に生れ落ちたそのときから、母の愛によってはかり
しれないほどの恩恵を受けていて、母の愛情が新生児に対してたいへん大きな
影響力を持っているのです。そして新生児の側から考えてみても、子どもは母
親という存在に完璧に依存することによって生き延びていくことができます。」


▼これらの言葉に対しても、「“母の愛”なんて聞いただけでも虫唾が走る」
という若者なんかも多いことを承知の上で、人がこの世に生まれて少なくとも
数年間は、他者(母親ほか)に完全に依存しなければ生きていけず、依存され
る母を含めた他者は、基本的に愛情と思いやりを注ぐことによって子どもの成
長を支えるのだ、ということを確認しておく必要がある。そして、その行為が
ないと家庭、そして社会は成り立たない。


▼「愛と思いやりはいかにして育まれるのでしょうか。それは宗教によってで
もなく、教育によってでもなく、法律によってでもなく、まさにこの生物学的
な要因によっているのです。なぜならば、この世に生れ落ちたその瞬間から私
たちが生きていくためには、母親の愛情が決定的に必要だからです。そしてこ
ういった本来的な意味におけるほかに対する愛情や思いやりが、私たち人間を
結び合わせ、一つの共同体をつくって生きていく原動力であるわけです。同時
に、この愛と思いやりが、他人のめんどうをみるという、ケアの意識を生み出
すのです。」


ダライ・ラマは自分のことを「レフティスト(左翼)」と言明している。も
ちろん、かつてのソ連や今チベット人とその文化・宗教を弾圧している中国を
牛耳る集権的な国家社会主義者という意味ではなく、「<社会>主義者」とい
うことである。人間を個人単位にバラバラに分解し、搾取することによって、
富者・強者だけが繁栄を謳歌する新自由主義に対して、愛と思いやりによって、
社会的な繋がりを再構築しようと奮闘する革命家、それがダライ・ラマなのだ。
                              (thayama)