大川端だより(305)


NHKスペシャルの再放送「JUDOを学べ〜日本柔道 金メダルへの苦闘〜」を見た。番組のホームページの解説文は下記の通りである。


 「今年2月、鈴木桂治井上康生ら日本柔道を代表する選手たちが過酷な戦いに挑んでいた。それはヨーロッパを転戦し開かれた柔道大会・サーキットへの参戦だ。
 フランスの柔道登録人口は日本の3倍、60万人。ドイツ35万人。世界最大の競技圏を形成するヨーロッパには、これまでの柔道とは異なる技やルールの解釈が存在している。レスリングや民族格闘技の技術をベースに、柔道着をほとんどつかまずタックルや反り投げを狙うスタイルは「ジャケット・レスリング」とすら呼ばれる。日本が考える柔道ではない世界基準“JUDO”。それを体で覚えない限り、北京五輪での「金」はないという判断が、この武者修行を決断させたのだ。
 番組は、北京五輪代表選考にも大きな影響を与えた「サーキット」に密着。“JUDO”の姿を伝えると共に、北京五輪どん底からの復活を図る日本柔道の姿を追った。」:http://www.nhk.or.jp/special/onair/080505.html


100キロ超級でオリンピックの代表選手になれなかった井上康生選手は、伝統的な日本柔道のきれいな一本勝ちにこだわって、従来からの自分のスタイルを変えない。しかし、代表を勝ち取った国士舘大学4年生の石井慧選手は、ヨーロッパの柔道に学び、柔道としてのきれいさよりも徹底的に勝利にこだわる。一本勝ちでなくても、ポイントを稼いで勝つことにこだわるのだ。


確かにヨーロッパの柔道を見ていると、まさに「ジャケット・レスリング」である。まず、日本柔道のように“間合い”を取らず、相手の身体に密着してくるので、一本背負いや大外刈りなとの投げ技がかけられない。また、柔道着の背中を掴んだり、床に転がってからも技をかけてくるなど、従来の日本柔道では考えられない闘い方だ。


しかし、この変化を受け入れないと、オリンピックの柔道でメダルは取れない。変化に対応したのが石井であり、自分のスタイルに固執したのが井上だった。そして、石井が代表選手の座を射止めた。「柔よく剛を制す」という日本柔道の美学をいくら説いたところで、闘いで勝てないなら仕方がない。一つの文化が発祥の地を出てグローバル化していく、というのはそういうことである。


今や日本発祥の鮨が世界的になり、例えば「カリフォルニア・ロール」といったものだ出現しても、それを「鮨じゃない」と強弁しても仕方がない。文化というものはそうやって伝播していくものなのである。それがイヤなら、自分たちの狭い領域に文化を秘匿して、外の眼に触れないようにしておくしかないが、このグローバル化、情報化がますます進む現代においてそんなことが可能なはずがない。


この番組に出てきたフランスの柔道チャンピオンは19歳の黒人青年で、身長が2メートルを超え、身体は逆三角形でランボー以上だった。ものすごいウエートトレーニングをやり、おそらく力では日本選手は対抗できないだろう。しかし、本当に「柔よく剛を制す」を証明したいなら、彼の力と強さに柔で闘う術を見つけるしかないのだが、それは苦難の道だろう。