大川端だより(291)


先週の中ごろひいた風邪が長引き、土日月と三連休は家でほとんど寝ていたが、まだ咳が止まらない。そのため、土曜日の市民塾4にも参加できなかった。でも、あの雪の中、スタッフも含めると30人以上の人が参加した、というのだから、ボラ協の最近の事業としては久々の人気企画と言ってよい。しかし大阪で雪は本当に久しぶりだった。土曜日の雪が日曜日の朝まで積雪として残っていたのも本当に近年にないことだった。


三日間ほとんど何にもしていなかったのだが、梨木香歩という作家に巡り会えたことは幸いだった。ぼくは寡聞にしてこの名前を知らなかったのだが、女性や若者たちの間ではけっこう人気がある作家のようで、「今、読みたい新潮文庫」というリストの第6位に彼女の『西の魔女が死んだ』が入っている。


ぼくはたまたま家の中に転がっていた文庫『西の魔女が死んだ』を読み始めて止まらず、同文庫の中の二つ目の作品『渡りの一日』に読み進み、それが終わると一気に『沼地のある森を抜けて』を読了。そのあとも、家人が買っていた数冊の作品に読み進めようとしている。今は『春になったら苺を摘みに』という彼女の自伝的なエッセーを読んでいる。


西の魔女が死んだ』は、日本児童文学者協会新人賞、新美南吉児童文学賞小学館文学賞を受賞していることからも分かるように、13歳の少女が主人公の精神的な成長物語のようなものである。題名がちょっとおどろおどろしいので敬遠する向きもあるかもしれないが、傑作である。日本が舞台で、イギリス人の祖母のところに預けられた「まい」という名の日本人の女の子がおばあちゃんからいろんなことを学んでいく物語で、『赤毛のアン』なんかも髣髴とさせる。


『渡りの一日』は、『西の魔女が死んだ』の後日談のような形を取っているが、スタイルがコロッと変わり、青春マンガのような趣の作品である。その中にショウコという名のまいの親友が出てくるのだが、「口は悪いが、何事によらず、異なる文化の香りに出くわすと、まず感嘆するという美徳をがあった。排斥にかかるのではなく」という魅力的な子で、まいとショウコの性格的な対比がおもしろい。


『沼地のある森を抜けて』は、これまた傑作で、帯のコピーを引用すると、「はじまりは、『ぬかどこ』だった。先祖伝来のぬか床が、うめくのだ−」ということで、おそらく何のことか全く分からないだろうが、女・村上春樹のような感じで始まった物語は、ものすごく深い「人間とは何か」「生物とは何か」という問いに答えようとする。まあ、騙されたと思って読んでみてください。