大川端だより(273)


■みんな「地球の人」

  
有名な俳人、三橋敏男に「家毎に地球の人や天の川」という僕の好きな句がある。天の川が見えるほど大気の澄んだ夜空の下にフツーの人々の住む家々があり、灯りが点っている。大空からの視点で見ると、大阪だとか東京だとか、日本だとかアメリカだとかイラクだとか、田舎だとか都会だとか、大統領だとか会社員だとか、そんなことは小さなこと。「みんな地球の人やんけ」という非常に句柄の大きい、素敵な俳句だと思う。


「家毎に」という小さい視点から、「地球の人や」という抽象概念に移り、そして最後に「天の川」という宇宙からの視線で締めくくられる。蕪村に似た自然と人間の捉え方ではないだろうか。


さて、「地球の人や」の“や”はもちろん切字であり、俳句的にはある種の感嘆を表しているのだろうが、関西人には関西弁の「あ、犬や」の“や”、つまり関東弁の断定の“だ”に相当するものとも感じられる。だから、「わあ、このいっぱいある家々に住んではるのはみんな地球の人や。天の川がきれいやなあ!」というようなニュアンスですっと胸の中に落ちてくる。


いつだったか、「国民」ではなく「市民」、それも「地球市民」というコンセプトがいちばん現実的なのではないか…というようなことを書いたことがあると思う。この句を口ずさんでいると、「地球市民などという抽象概念で物事は解決しない。国家があるからこそ、軍事力があるからこそ…云々」などという言葉を吐くわけ知り顔の評論家に、「でもな、アンタも含めて、結局みんな地球の人間やんけ」と言っているような気になってくる。


僕らは、世界中の“家毎に地球の人”が住んでいる、という基本的な認識から、全てのことを考え直さなければならないように思う。「同胞は地球の人」とみんなが本心から言えるようになったら、大方の問題は解決する。この句を読んで、そんなことを考えている今日この頃です。