大川端だより(255)


写真を見てもらっても分かるとおり、もう11月直前というのに大川にはウォータレタスが繁茂しています。確かに地球は異常気象ですね。そうそう、明日は「大阪ブラボー!祭り」ですよ。黒ビの下に詳細を貼り付けておきますので、ぜひぜひご参加を!!!!!!


今日は「市民プロデューサー通信」の142号を発行しましたが、まぐまぐなど他のメルマガの配信機能はうまくいくのにメルマだけは何回やっても配信できませんでしたそれで、問い合わせのメールを送っておいたのですが、まだ返事が来ません。そのため、メルマで登録をしていただいている読者にはまだ配信できていませんので、下記に142号のぼくが書いた記事を転載しておきます。


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┃┃■ 黒ビールでも飲みながら・・・・119
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「男と男性、女と女性」


▼事件報道などで、加害者を「男」「女」で呼び、被害者を「男性」「女性」
と言う不思議さについてはずいぶん前にも書いた。


▼「従業員の給料分の500万円が入ったカバンを抱えた男性が銀行を出たとき、
目出し帽をかぶって自転車に乗った若い男が近づいて男性のカバンを奪い、目
撃者の女性(35)によると、その男は猛スピードで東のほうへ走り去った」と
いうような場合である。


▼このような使い分けが、なぜ、いつごろから、誰によって始められたのか、
とても興味があった。そこでいろいろ調べていると、「広報戦略ブログ」に元
新聞記者氏が次のような記事を書いていた。


▼「こういう使い方が気になりだしたのは、7、8年前からだ。NHKテレビ
のニュースで、そうした表現の文章をアナウンサーが頻繁に読んでいた。その
ころ、新聞記事ではそういう表現をあまり使っていなかった。もっとも、詳細
に分析したわけではないので100%の自信はない。目よりも耳のほうが、受
ける印象が強くなるのかもしれない。それはともかく、当時、NHKに『なぜ
使い分けるのか』『その根拠は何か』を尋ねた。担当者は、『何となく』とし
か答えられなかった。念のため、新聞社の校閲にも聞いてみたが、これまた得
心のいく説明はなかった」(広報戦略ブログ:2007年06月01日)


▼この記事から推察すると、2000年前後からこういう使い分けがされ始め、そ
の根拠が明確でないまま、マスコミ界を「加害者=男・女、被害者=男性・女
性」という“公式”が適用されだした、ということになる。


▼また、ホームページ「教えて!gooみんなの疑問、みんなで解決!」の質問
番号No.3004490への回答の中に、2007年3月25日付の朝日新聞の「ことば
談話室」に、「『女性』と『女』新聞での使い分け最近」という見出しの記事
があったと書かれており、次のような引用がされている。「新聞で被害者は
『男性』『女性』、容疑者は『男』『女』と使い分けるのは、80年代後半に容
疑者を呼び捨てにしないよう改めた頃からの傾向だそうです。それ以前は容
疑者も被害者も、匿名の場合はたんに『男/女』がふつうでした」。


▼つまり、前の記事と後の記事では10年〜15年のタイムラグがあるのだが、前
者は「100%の自信はない」と書いているので、後者の「80年代後半」説を採用
することにしよう。さて、それでは、なぜ「80年代後半」なのか、ということ
である。そのことに踏み込む前にまず、いつごろこの国で「男性」「女性」と
いう言葉が使われ出したのか……。前述した「ことば談話室」では、「男性/
女性」が明治以降の新しい表現であることを指摘している。


▼さて、ここからはぼくの推論であるが、江戸時代末期から明治にかけて、
「男性/女性」という言葉がつくられたのは、西洋諸外国語の学習からである
と思う。つまり、スペイン語やフランス語にある文法的な「性(ジェンダー)」、
すなわち男性形、女性形、中性形を表わすために、昔からあった男、女に「性」
を付加したものだったのだろう。しかしそれが、今のように、人間の男女の丁
寧で礼儀正しい言い方になったのはいつの頃からなのだろうか? 少なくとも
夏目漱石の小説に「男性」という言葉が出てきた記憶はない。しかし、平塚ら
いてうが「元始、女性は太陽であった」と書いたのは明治44(1911)年のこと
だった。「女」が「女性」という新しい衣装を身にまとい変身したのである。


▼ぼくが思い出すのは、1958年に井上梅次監督によって作られた石原裕次郎
演の日活の「素晴らしき男性」というミュージカル映画のタイトルであり、
「素晴らしき男性、素晴らしき男性、青いコマドリが言ったとさ…」という
歌詞で始まるその主題歌ある。この頃ぼくはおそらく小学6年生で、「男性」
という言葉にえらくハイカラな印象を持った。


▼では、いつごろから「男性/女性」という言葉が日常的に使われるようにな
ったかと言えば、それはやっぱり、男(女):男性(女性)の使い分けがされ
始めた80年代後半だったではないだろうか。そしてそのころ、フェミニズム
女性学からのいわゆるジェンダー論が盛んになりつつあったのである。


▼下記のHPに斉藤正美という人が「『ジェンダー』という用語の使われ方」
と題する文章を書いておられる。http://homepage.mac.com/saitohmasami/gender_colloquium/gender.htm
それによると、国立女性教育会館の女性情報CASSデータベースで「ジェンダー
を含む記事を検索すると、ジェンダーで検索できる記事は1986年が初出らしい。


▼また、最初に「ジェンダー」という言葉を新聞に導入したのは1986年の青木
やよい氏の「下野新聞」の記事で、次が同じく同氏らによる1988年の「信濃
日新聞」の記事だったという。しかし、どちらも全国紙ではなかったので、あ
まり注目されなかった。しかし、1989年に「朝日新聞」紙上で上野千鶴子氏の
記事が3件、また海外紹介記事で1件「ジェンダー」という言葉が使用されて
いるそうである。


▼ご存知のとおり、上野さんは1995年に、『ジェンダー社会学』を上梓し、
ジェンダーというコンセプトを牽引していく。前出の斉藤氏は、「一般的な次
元で最初に『ジェンダー』を導入しようとしたのが青木やよいで、上野千鶴子
が後に続いていることが見て取れた」と書いている。


▼さて今日、「ジェンダー」という言葉は文法用語というより、一般的には社
会的、文化的な文脈で使われる。そしてそのことに対するフェミニズム、女性
学の影響はものすごく大きい。…というより、この意味でのジェンダー概念と
女性学、フェミニズムは不可分の関係にあるといえよう。


▼つまり、平塚らいてふが「元始、女は太陽であった」とはせず、女性という
言葉を使ったのは、「おんな」という響きに古風である意味での性的な匂いを
嗅ぎ、近代的、市民的で、“臭い”の少ない「女性」という言葉を使ったのだ
ろう。そして、平塚の末裔である現代のフェミニストたちが女より女性を好む
のは当然のことなのである。


▼……とは言いながら、マスコミ表現における「女性」の「女」への差別、ま
た「男性」の「男」への差別には納得できないものを感じている。まさかとは
思うが、「男」と「女」が近い将来、差別語に指定される、というような暴挙
が行われるとしたら……。(thayama)



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┃┃■場□■        投稿歓迎!   
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さあさあ皆さん、明日(11月1日)は「大阪ブラボー!祭り」ですよ。 

さあさあ皆さん、これが「大阪ブラボー!祭り」情報ですぜい!

この情報を大至急コピペしておともだち連中にばらまきたまへ!

リンクも大歓迎です。

■【大阪ブラボー!祭り】■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

■日■2007年11月1日(木) 

■時■18:30welcome 19:15start〜about21:30 ※交流会〜23:00

■場■中津芸術文化村 ピエロハーバー内 自由空間シュガータウン

  http://www2.odn.ne.jp/sugar-town/

  北区中津6-1-10 阪急中津駅 徒歩1分(06-6451-7780)

■参加費■20代2000円・30代以上3000円 ※1ドリンク&スナック付

■ゲスト■DJマーキー/名前はまだ無ゐ/中川眞/大阪ポエット/
    恋愛研究会。/マルガサリ

 スペシャルゲスト★橋爪紳也(元大阪市立大学教授)

■プログラム■

【ブラボー!大阪ネイティブオヤジ】DJマーキー×橋爪紳也トークライブ

【ブラボー!大阪アーティストその1】『名前はまだ無ゐ』ライブ

【ブラボー!大阪レトロ観光】『大大阪観光』上映ガイド:橋爪紳也

【ブラボー!大阪カルチャー】橋爪紳也×中川眞

【ブラボー!大阪アーティストその2】『恋愛研究会』ライブ

【ブラボー!大阪アーティストその3】大阪ポエット×マルガサリ即興ライブ