大川端だより(225)

大塩平八郎というのはとても興味深い人物である。飢饉と圧政に疲弊した窮民の味方をして「救民」をスローガンに、奉行にたてを突き武装反乱を起すのだが、根本のところは徳川家と幕藩体制身分制度を壊すつもりは全くないのである。大塩の乱は、平八郎という優秀で慈悲深い封建的支配層の超エリートが起したもので、革命的なものでは全くなかった。つまり、大塩は体制を転覆するところまでは全く考えておらず、政道を正し、飢えた民を救済するのが目的だった。


このように現代社会の民主主義的パラダイムから大塩を批判してもせん無いことである。人間は自分の生きている時代の思考的枠組み(パラダイム)からは抜け出せないもので、明治時代に欧米を“ヴァガボンド”し、イギリスの学術誌に英語の論文を何度も掲載したあの南方熊楠でさえ、昭和天皇の前ではものすごく緊張している。大日本帝国下に生を受けた熊楠にとって、天皇は神聖で侵すべからざる存在だったのである。


だから、簡単にパラダイムを超えられると思うのは全くの思い上がりで、ぼくらは現代の民主主義的パラダイムから物事を見る以外に為す術はないのである。そのことを理解したうえでもう一度大塩の行動を見ると、やっぱり彼の挙兵は大したもので、多くの農民や庶民が彼に追従したのも「むべなるかな」と思わざるを得ない。ただ、新しい奉行、跡部山城守との折り合いの悪さも挙兵の大きな要因で、その辺りの人間臭さもとても興味深い。