大川端だより(222)

それにしても暑いですね。残暑お見舞い申し上げます。


皆さま、お盆休みはいかがでしたか。田舎に帰った、という人も多いでしょうが、ぼくはずっと天満界隈におり、もっぱら『大塩平八郎』(岡本良一著 創元社)という本を読んだり、史跡を尋ねたりしていました。その本の中に大塩の乱のときの「天満焼け」の地図がありますが、それを見ていると、今度「フィールドワーク市民塾2」で歩くところは、ほぼ全焼していますね。市内の家屋1万戸が焼失したそうです。


この地図は、大塩の乱(天保8年=1837年)当時の天満界隈の様子がよく分かってとても興味深いです。うちの事務所の住所は「同心1丁目」なのですが、地図を見ると、与力や同心の家屋敷が連なっています。近くに与力町という住所もあります。また、うちの西側の筋向いのお寺(龍海寺=緒方洪庵墓所)も当時からあったみたいで、事務所のあるビルの位置もよく分かります。それから、堀川神社の前の高速道路は、もともとやはり「堀川」という川があったようで、いくつも小さな橋が架かっていました。「八軒屋の渡し」の位置なんかも確認できておもしろいですね。この地図、9月1日の「市民塾2」で参加者の皆さんに配るつもりです。