大川端だより(216)


自民大敗もさることながら、ぼくにとっては小田(実)さんの死というのが大きい。やっぱり今までの人生でいちばん大きな影響を受けた人の一人だったからなあ。ベ平連のときに何回か会っているし、それ以降も取材で西宮のマンションに伺ったこともあった。


やはりいちばんの思い出では、アベノのKYKの2階で、キューバの大使を前にしてハンパク(反戦のための万国博覧会)のプレゼンをやったときのことだ。ぼくが日本語で「キューバは人民の国だと思っていますが70年の千里万博に参加するそうですね。ぼくらは万博は人民の祭りだとは思っていません。大企業と大国のためのお祭りです。しかし、ぼくらが計画しているハンパクは、本当の意味での市民のためのお祭りにしたいと思っています。キューバも外交関係があるので、万博に参加することに反対はしませんが、ぜひハンパクにも参加してください」というような意味のことを言うと、逐次それを小田さんが英語に通訳していった。そして、キューバのハンパク参加が決まった。


また、小田さんの意思決定は非常に早く、次々といろんなことが決まっていくのには感心した。ハンパクの企画段階でも、知識人、文化人関係の説得はおれがするから、君らはこれとこれとこれをやってくれ、という感じで、自分のできることとできないこと、また活動の分担を即決していくのが非常に印象的だった。


それから、小田流の最高テーゼは、やはり「言い出しべぇがやる」との原則だろう。これがある限り、評論家的な人たちは困るのだ。だって、言い出したら「自分でやって」となるのだから、言論だけで実行の伴わない口先だけの輩はこのテーゼがありさえすれば、自然に寄り付かなくなる。


今朝の朝刊にはもう一つ訃報があった。スウェーデンの映画監督ベルイマン(享年89)である。ぼくは彼の映画の大ファンというわけではないが、ぼくらが二十歳代の頃さまざまなフィールドで活躍していた人たちがどんどん亡くなっていく時代である。そしてあと15年か20年したら、ぼくらが去り行く時代が来るのだ。それまでは、面白おかしく生きていかにゃあ。