大川端だより(196)

子どものころの遊びで思い出すのは、あの頃はあちらこちらに広っぱがあったということだ。今のように空き地ができたらすぐマンションが建つ、というようなことはなかった。広っぱというのは子どもたちにとって重要なトポスであり、それがあるとないとでは情操に大きな影響があると思う。塾に集まるとか、誰かの家の子ども部屋がケームをする子どもの溜り場になっているのとは全然違う。


地面が土で、草や木が茂っていて、バッタやチョウチョやトンボなどの昆虫がいて、できれば小川なんかが通っているとなおよい。もちろんそこにはメダカやザリガニやカエルがいる。まあ、広っぱに川が通っているというのは都会ではちょっと考えられないから、川はなくてもよい。かっての広っぱと近い感じなのは淀川なんかの河川敷なんだろうが、あんまり子どもが遊んでいるのを見たことがない。


広っぱでぼくらがやった遊びと言えば、缶けり、鬼ごっこ、胴馬、押し競饅頭、探偵ごっこなどいろいろあったが、身体と身体が接触する遊びが多かった。触れ合いの基本はやっぱり身体的な接触からだろう。子どもはお互いに触れ合うことから人間関係の基礎を学んでいくのではないか。


それから、自然との触れ合いもまたとても重要で、昆虫を採ったり、魚を釣ったり、犬とじゃれあったりしたほうがよい。夏の終わりごろトンボ捕りをよくした。ぼくらはある道具を使ってトンボを捕った。それは、輪ゴムに1メートルぐらいの木綿糸を結びつけ、その結び目の対角線上(輪ゴムの)にシズとぼくらが呼んでいた、釣りに使う米粒より少し大きいぐらいの鉛の小塊を挟む。つまり、シズと糸をつけた輪ゴムを使うわけだ。この道具の名前が何だったか記憶がない。


輪ゴムにつけたシズの部分を左手の親指と人差し指で掴み、右手は木綿糸を持ち、(右手を)空に向かって伸ばすと、当然輪ゴムは伸びて弾力を増す。そして、トンボが通る空の道をよく見ていると、鬼ヤンマや虎ヤンマなど、大物のトンボが飛来するのが分かる。そのとき、さっきの道具を思い切り輪ゴムを引っ張って空に投擲する。するとトンボは虫と間違えてシズに食いつこうとするのだ。ところがすぐに上から長い糸が落ちてきて、羽に絡まってしまい。トンボは地上へと墜落する。


これは一種の狩りである。その道具を投げ上げるとき、ぼくらは大声で、「ラッポエー」とか「ホイラン!」と叫んだように思う。そのまじないの言葉がどういう意味を持ち、語源が何なのか子どものぼくは知るよしもなかったし、知りたいとも思わなかった。ただただ、そういうものだと思っていたのである。糸と糸の両端に小石か何かを結びつけてそれを投げ上げてトンボを捕る、という方法は聞いたことがあるが、ぼくらのグループのように輪ゴムとシズと糸での新兵器を使っていたというのは聞いたことがない。この道具を誰が開発したのか知らないが、これは子ども界の大発明だったに違いない。