大川端だより(194)

夏と言えば海水浴である。しかしもう何年も海で泳いだことがない、と書いて、何年か前に高知県の島で海に入ったことを思い出した。が、それはさておき、ぼくらの子どものころはまだ大阪湾岸のコンビナートがなかったので、よく海水浴に行った。いちばん有名だったのが浜寺の海水浴場で、本当に白砂青松の美しいところだった。浜寺より少し和歌山よりに二色浜があり、ここはかなり遠い感じがした。


浜寺よりまだ大阪よりにも湊浜と言う海水浴場があり、ぼくはそこの水練学校にしばらく行っていた記憶がある。今ならさしずめスイミングスクールだが、水練学校である。確か水着もふんどしだったと思う。1キロとか3キロの遠泳のテストがあり、ぼくはどちらかに受かったと思う。平泳ぎで、船に乗った先生に励まされながらゆっくり泳いでいくが、キロ単位の遠泳になると最後はさすがに疲れきり、浜へ上がるときは腰がスッキリと伸びず、陸で平泳ぎをしているような恰好になる。いくら暑くても長時間水に使っていると寒くなるのだ。


水練学校から帰りの楽しみは、関東炊き(おでん)のちくわを買って竹ぐしに差してもらって食べながら帰ることだった。だからぼくはいまでもおでんはちくわがいちばん好きだ。確か浜寺に海水浴に行ったときに、すぐ近くに水色のワンピースを着たとてもきれいなお姉さんがいて、ぼくはチラチラ彼女のほうを見ていたのを覚えている。今から考えると、ぼくは10歳ぐらいだったと思うので、彼女は中学生か高校生だったと思うが、何か心惹かれる少女だった。


その頃「夏の日の恋」というパーシー・フェイス・オーケストラの曲が流行っていて、なんかその少女の風情と水色のワンピースが重なるのだ。だからぼくは今でもこの曲を聴くと、もうその少女の顔も定かではないが、浜寺の白い砂と水色のワンピースのイメージが脳裏をよぎるのである。