大川端だより(159)


内田樹さん(神戸女学院大教授)の『下流志向〜学ばない子どもたち、働かない若者たち』を読了した。本書は、現在の日本の子ども&若者たちの諸問題を考えるとき、読んでおくべき基本図書となるものだと思う。


ごく簡単に内容を言うと、今の子どもや若者たちのさまざまな問題(学級崩壊、ニート等々)の原因は、彼らがまず消費主体として社会化されるからだということである。つまり、子どもたちは就学前にすでに「消費主体として自己を確立してしまっている」ので、全てを消費行動のアナロジーで考え、態度を決するというのだ。


確かにぼくらが子どものときは、まず家事や親の生業の手伝いをすること、つまり労働から社会化の基礎を学んだ。何がしかのお金を渡されて買い物に行かされることはあっても、それはあくまで親の手伝いであり、親の金であった。


ところが今の子どもは、少子化ということもあって、いわゆるシックスポケッツ(両親と父方の祖父母+母方の祖父母から小遣いをもらうこと)を有しており、例えば、小学校に入る前から数万単位のお年玉を手にすることも稀ではない。つまり彼らは、かなりの額の自己資金を持ち、それで自分の欲しいものを買う、という行為から社会化をスタートさせるのだ。


「消費者は王様」とはよく言ったもので、商品を売る側はたとえ客が子どもであっても、相手をミニ王様として扱うことになる。だから子どもたちは、労働によって社会化をスタートしたぼくらとは違い、意識が“オレ様化”しており、さまざまな問題行動を起すこととなるが、それは彼らにとっては問題でもなんでもなく、消費主体としての当然の行いなのである。


消費行動には二つの特徴がある。等価性と無時間性である。前者は、基本的に支払う金額と得られる商品が等価であるということ。後者は、支払いと商品入手が同時に行われることであるが、今では、先に商品が手に入って、支払いは後から、ということさえ多い。


例えば、学級崩壊という現象を消費行動のアナロジーで見ると、学校が提供する教育サービスが生徒にとっては支払う対価(おとなしく授業を受けること)に見合っていない、と感じられるのだ。そして、彼らが受けているサービスがつまらないものだというサイン(立ち歩いたり、隣とおしゃべりをしたり)を教師に送るのは、まさに消費者が例えば20万円のパソコンを値切るときに、「それはせいぜい15万円の値打ちしかない」という態度で、売り手の20万円という提示に対して興味のないフリをするのと同じなのだ。


ニートについても全く同じことで、彼らが受け取る賃金は彼らが提供する労働に全く見合っていないと感じるのである。それは当たり前のことで、彼らの労働が生んだある商品の価値が例えば千円としよう。しかし、それがそのまま彼らに提供されるなら等価交換になるが、そんなことはありえない。なぜなら、そのなかから企業(資本側)は利益を得なければならないからである。


また、労働は消費のように無時間的(その場で取引が完結する)ではありえない。1ヶ月という長時間の労働をしたあとでないと、その対価は得られないのだ。こんな割りに合わないことを、消費主体として自己確立した今の若者がすすんでするわけがない。


ぼくは、社会にとっての現在の子どもや若者の諸問題が「消費主体論」ですべて理解できるとは思わないが、「今の子は精神的にひ弱になった」とか「父性の喪失が生んだ現象だ」といくらいっても問題は解決しない。やはり、問題を社会&経済構造的に分析する必要があるだろう。そのときにこの本で展開されている議論は、とても有用だと思われる。本書に明解な問題の解決策が書かれているわけではないが、ぼくなりに考えると、抽象的な言い方になるが、「一緒にボートを漕ぐ」努力をする以外にないのではないかと思う。