大川端だより(156)

アメリカで30何人が殺される発砲事件があったと思ったら、日本でも長崎市長が銃で殺された。若いころロンドンで英語を学んでいたときに英国人の女性教師と、銃での殺人と日本刀で人を殺すのとどちらが残酷か、という議論をしたことがある。彼女は、刀による殺人のブラッド・シェッド(血飛沫)には耐えられない、と言ったが、ぼくは「それが人を殺すということだ」と言い、残酷さが刀ほど感じられない銃での殺人の“安易”さを指摘した。銃(爆撃も同じ)による殺人は、殺される人間との物理的な距離があることにより、心理的な“楽さ”があるのだろう。アメリカの場合、武器が簡単に手に入ることと相まって、あれほど多くの銃による殺人事件の多い土壌となっているのだろう。いくら銃社会とはいえ、限度を超えているように思う。早急に米国憲法を改正して、銃の規制を強化してもらいたいものである。