大川端だより(154)


朝8時からぐるっと大阪城公園を写真を撮りながら大回りしたので、2時間半ほどかかった。新緑が美しく、ぼくらがハンパク(反戦のための万国博覧会69)をやったときはまだ大阪大空襲の焼け跡をやっと整地したぐらいだったので、木なんかほとんどなかったが、今は立派な森になっている。40年近く経つと、植えた木がこれほど大きく育つのだ。やっぱり資源としては、再生可能な植物にかなうものはないと思う。


戦後あの辺りは、かなり長い間、小松左京の『日本アパッチ族』や開高健の『日本三文オペラ』に書かれているような広大な焼け跡が広がっていた。東洋最大と言われた軍需工場「造兵廠」があったから、米軍は徹底的に空襲を加え、破壊しつくしてしまったのだ。因みにうちの親父は、その造兵廠で幼年工や女子挺身隊の教育係をしていたということだ。