大川端だより(102)

近々、公民館関係者を相手に団塊の世代について話す機会があるので、公民館の歴史を調べているのだが、これがなかなか面白い。公民館というとなんとなく郡部の保守的な町にある小さな木造の建物、という感じを持っている人も多いのではないかと思うが、歴史を調べてみると、文字通り「公民(市民)の館」として出発したことが分かる。


戦後GHQは、戦前戦中の日本の隣組自治会などの自治組織は、市民を戦争に巻き込んでいった国民総動員体制の思想的基盤づくりのための末端組織であったと考え、全て解体することを命じ、その代わりに公民(市民)教育を徹底するようにしたのだが、その施設的な受け皿として設立されたのが公民館だった。


公民館というものの理念や教育内容の基礎づくりをしたのは当時の文部省公民教育課の課長、寺中作雄という人物だった。彼は、1946年1月に「公民教育の振興と公民館の構想」という論文を雑誌「大日本教育」の1月号に発表。日本に民主主義を定着させるための「公民意識」の必要性を力説し、公民教育は、実践教育・相互教育・総合教育であるとした。そして、「総合的公民学校たる公民館」の設置を提唱した。同年7月には文部次官通牒「公民館の設置運営について」が出ている。


同通牒では、公民館を、社会教育機関、社交機関であるとともに、郷土の産業活動を振興する原動力となる機関であり、「町村民の民主主義的な訓練の実習場」などと位置づけている。つまり当時、公民館は、民主主義・主権在民という新思潮を普及し、市民(公民)に身につけてもらうための、思想的最先端機関だったのである。今はどうなのか……。(次のサイトを参照しました。http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/kurashiki/180516UEDA01.pdf