大川端だより(97)

 実は、ぼくが今までいちばん興味が持てなかったスポーツは駅伝である。しかし最近、前から興味を持ち、日本文化の特長をよく表わしていると考えていた連歌連句と駅伝の類似点を見つけて関心を持つようになった。でも、本当に最近、というよりここ数日のことで、正月にあっちこっちでやっていた駅伝も見ていない。とくに箱根駅伝は、なぜ東京の人があんなに興奮して見るのか分からなかった。正月のスポーツと言えば、アメフトの日本選手権「ライスボウル」でしょう、と思っていた。

 ところが、一人ひとりがある区間を受け持ち、次から次へとタスキを受け継いでいく、というスタイルが、発句・脇・第三・平句・・・・・と続いて最後に挙句に至る連句と何となく似ていると思い、駅伝が日本発のスポーツであることを考えると、分野の違うこの二つの日本人の行動様式に、日本文化の特長があるような気がしてきたのである。それで、ウィキペディアで「駅伝」を調べてみた。すると、

「(前略) 駅伝という言葉自体は、日本書紀にも記載されているほど古いものである。 首都と地方の間の道路網に30里(約16km)毎に置かれた中継所のことを『駅』といい、ここに宿泊施設や人、馬を配置していた。駅に朝廷の使者が到着すると、次の駅まで乗り継ぎの馬を用意する仕組みが整っており、この制度を『駅制と伝馬制』あるいは『駅伝貢進』といった。 
 競技としての最初の駅伝は、1917年(大正6年)4月27日に行われた読売新聞社の主催による『東海道五十三次駅伝競走』とされる。京都の三条大橋を午後2時に出発し、東京の上野不忍池(しのばずのいけ)までの23区間、約508kmを走り抜き、到着したのは翌々日の午前11時34分であった。この競走のスタートとゴールである三条大橋および上野不忍池の近くには『駅伝発祥の地』の碑がそれぞれ存在する。」とあった。

 へぇ〜「駅伝」ってそんなに古い言葉だったんだ。競技の駅伝も今年で誕生90周年である。ますます興味がわいてきたので、連句と駅伝をモチーフに、日本文化考を書いてみたくなってきた。