大川端だより(84)

最近、当ブログのコメント欄は釈さんとぼくの往復書簡のような形になっているけど(笑)、昨日の氏のコメント「金剛組は大手ゼネコンの傘下に入った…云々」については、『千年、働いてきました』によると、東証1部上場の高松建設大阪市淀川区)が、「金剛組を潰したら、大阪の恥や」ということで、助け舟を出した、ということのようです。

高松組は金剛組の営業権も傘下の宮大工も全員引き受けたようで、副社長、常務、営業部長ほか精鋭を送り込んで、再建を果たしました。現在も金剛組は昔どおり天王寺区四天王寺1丁目で営業しています。

通常、営業権を譲渡すると、「金剛組」の名前は残らないらしいのですが、在るトリックを使って社名を残した上、金剛家の39代目を相談役に据えて、1400年の歴史が断絶したのではないことをアピールしているとのこと。

そのトリックというのは、同じ名称の会社でも区が異なれば設立できることを利用して、まず淀川区に別の「金剛組」という会社を作っておき、営業譲渡の日に天王寺区に住所変更して、実質的にそのまま金剛組を残したということです。だから、新社長には高松組の副社長が就任しましたが、送り込まれた精鋭たちは退路を絶って金剛組へ全員移籍しました。

著者の野村氏は、一連の経緯について「『老舗』に対する大阪人の心意気」と評価し、「ともあれ金剛組は今回も窮地を脱し、『世界最長寿』の記録をきょうも更新しつづけている」と書いています。因みに、大塩平八郎の乱で焼けた天満宮を再建したのも金剛組です。