大川端だより(73)


ウォーキングのとき、できるだけ舗装された道より地道を歩くようにしている。一つはもちろん足を保護するためだが、もう一つの理由は、枯れ葉を敷き詰めた土の道のほうが歩いていて気持ちがいいからである。土は柔らかく暖かい。土の道を歩いていると、なぜか知らないが、頭に「涙の踏み分け道」というフレーズが棲みついてしまった。どこかで聞いた言葉だと分かっているし、アメリカインディアンの歴史に関係があることもぼんやりと分かっていた。しかし、いつごろ覚えた言葉か思い出せないので、ネットで検索してみると、あったあった。


アメリカ政府によるチェロキー・インディアンの強制移住のことだった。東部からミシシッピーを越えてオクラホマに向かう1300キロにも及ぶ大移住である。13000人のチェロキーを移住させる計画をアメリカ政府が民間業者に委託。もちろんアメリカのビジネスのことだ、できるだけコストを抑えて利益を得ようとし、河を渡るのに老朽船を使用するとともに、定員の倍の人員を詰め込んだ。案の定、船は転覆。多くのチェロキーが溺れ死ぬ。食べる物もまともに与えず、厳しい冬が近づいても、与えられたのは防寒用の毛布1枚だけ。彼(彼女)らの足は血まみれになり、栄養失調と疲労による衰弱と病気で死ぬ者も多く、この道行きでの死者は4000人にも上ったという。当時のアメリカに立派な舗装道路などないから、まさに「道なき道」だっただろう。これを「涙の踏み分け道(The Trail of Tears)]と呼んでいる。


ぼくはなぜか知らないが、昔からアメリカインディアンに魅かれるところがある。西部劇を観ても、白人のガンマンや騎兵隊やカウボーイよりインディアンのほうがかっこいいと思っていた。これは関西人の判官ビイキなのか、それとも彼らと大昔に出自が同じだったからだろうか。因みに、ネイティブアメリカンというのが今の常識だと思うが、彼らの多くは自分のことをインディアンと呼ぶことも多い、と聞いたことがある。