「市民としてのスタイル」十か条

▼ボランティア国際年の記念イベントとして、2001年に大阪ボランティア協会主催で、連続フォーラム「市民としてのスタイル」を企画した。その時、スタッフの間で、全4回のフォーラムが終わった時点で「市民としてのスタイル十か条」みたいな感じで、新しい市民像というか、「ぼくらはこういう思考と生活のスタイルを主張し行動したい」というメッセージになるようなものを考えてはどうだろう…という議論があった。


▼それで、フォーラムが終了した時に、「十か条、十か条」と言っていたのだが、誰がどんなふうにそれを考えるのかという問題もあり、一応『市民としてのスタイル』というタイトルの本を出版し、その中に「市民としてのスタイル十か条」を載せることを考えていた。それで、一昨年の年末に何人かの人に集ってもらい、「市民としてのスタイル十か条」選定会議のようなものを持った。


▼そのときに、ぼくが十五か条の「市民としてのスタイル」を考え、それをたたき台としてみんなで議論をし、カードブレスト法を使って新しい提案なども書いてもらった。ところが去年、『市民としてのスタイル』の出版化の話が頓挫した。簡単に言うと、どの出版社も「こんな企画の本は作っても売れない」という判断だったのだ。


▼そこで、「市民としてのスタイル十か条」が宙に浮いた形になった。で、月刊ボランティアの編集委員をしているぼくは、月刊ボランティアが『Volo(ウォロ)』と誌名変更する2003年新年号の特集タイトルを「市民のウォロ」とし、市民の意志(ウォロはラテン語で「喜んで〜する」の意味)を検証、ルポする企画を編集委員会に提案。企画は受け容れられた。


▼そしてぼくは、徳島の「民主主義のがっこう」を取材したり、編集委員5人による座談会をしたりしていたのだが、それと同時に「市民としてのスタイル十か条」についてもまとめていた。ところが、編集委員の中には「そんなものを制定する必要はない。十か条は個々の市民によって違うし、それを制定して月ボラの誌面に載せることにどんな意味があるのか」という反論もあり、ぼくもそれはもっともな意見だと考えたので、記載を中止することにした。


▼でも、こういうふうに書くと、「どんな十か条なの…」と興味を惹かれた読者も多いのではないかと思うので、以下に月ボラのメーリングリストなどで議論を重ねて創作した「市民としてのスタイル十か条」を掲げておきます。皆さんはどのように感じられるでしょう。


▼「市民としてのスタイル十か条」

 私たちは、志を持った自治的な市民として、次のような考え方及び生き方の スタイルを確立したいと思います。

(1)私たちは、地球環境や次世代のことを考えて現在の生活を営みます。

(2)私たちは、NPOや市民活動に積極的に取り組むとともに、行政や企業などとも協働して社会の改革に取り組みます。

(3)私たちは、小さな声にも耳を澄まし、話し合いによる合意形成を重視します。

(4)私たちは、文化的・思想的多様性こそ「豊かさ」の源泉だと考えます。

(5)私たちは、権力を持つ人たちの見解やマスコミ報道などを鵜呑みにすることなく、冷静に判断し、態度を決めます。

(6)私たちは、地球上の全ての人たちが飢餓と無知から解放されることを望みます。

(7)私たちは、インターネットなどを活用し、地球市民のネットワークを形成します。

(8)私たちは、植物や動物も人間と同じ生き物としてその存在を尊重します。

(9)私たちは、地域社会をより安全で快適なものにするよう努力します。

(10)私たちは、基本的人権地球市民としての義務を大切にし、主権者として行動します。

(2003年1月8日(水)発行 「市民プロデューサー通信」第64号「黒ビールでも飲みながら…(56)」URL:http://blog.mag2.com/m/log/0000059597/75015040.html?page=4