「団塊の世代」ふたたび


▼日本の「団塊の世代」とアメリカの「ベビーブーマー」の違いは何だと思いますか。それは、なにかのメールマガジンで読んだのですが、前者の敗北感と後者の勝利感だそうです。アメリカのクリントンやゴアの世代は、広汎な反戦運動によってベトナム戦争を終わらせたし、公民権運動やフェミニスト運動でも大きな成果を上げ、さらに映画やロックなど文化面でも巨大な変革を起こしました。


▼ところが日本の団塊の世代は、全共闘運動は大学当局と警察にコテンパンにやられたし、「70年安保」にも負けてしまったから、ぼくのように海外放浪に出たり、ビジネスの世界に入って企業戦士として日本の資本主義を支え続けるという、およそ「革命」とはかけ離れた生活をしてきたので、ある種の敗北感があるというのです。それに今は、自分たちが支えてきた日本経済もガタガタの状態ですしね…。


▼今、団塊の世代のボランティア・市民活動についての取材をしているのですが、久しぶりにベ平連時代の友人にインタビューしました。Sくんは、北摂ベ平連の中心的な活動家で、街頭カンパやデモや集会などでいつもギターを抱えてフォークを唄っていました。現在彼は、トラック運転手をしながら、自分の住んでいる地域でさまざまな活動をしています。例えば、市民派議員を誕生させるためのセミナーを開いたり、障害を持つ議員の選挙参謀をしたり、無農薬農業の手伝いをしたり、アフガニスタンの子どもたちを支援したりと八面六臂の大活躍です。そしていつも彼の活動の拠点は「生活の現場」なんです。


▼60年代後半の「政治の季節」においては、変革の拠点は「生産の現場」であるべきだというドグマ(教条)がありましたが、もはやすっかりマルクス主義が廃れて、誰もそんなことを言う人はいません。それは、みんなが工業生産力や経済効率だけが重要なのではなく、人々の暮らしこそが最も大切なのだと気づいたからだと思います。


▼そんな状況の中で、団塊の世代の最も良質な部分に属する人たちに取材・インタビューをしていると、彼(彼女)らが再び、変革の主体となって登場してくるのではないかという思いにとらわれます。かつてのように、国会周辺や御堂筋でヘルメットを被ってデモをするのではなく、地域社会において、"生活の中の革命"を起こしていくのではないかと思います。


▼最近の新聞記事で、2005年には日本の人口の半分が50歳以上の人たちによって占められるようになることを知りました。これってモノスゴイ話ですよね。今までの若者文化全盛時代は確実に過ぎ去りつつあります。そして、団塊の世代を中心にした50歳代がメインストリーム(主流⇒会社や官庁)を外れたところでサイドストリーム(カウンターカルチャー)を形成していく、という60年代の再来のようなことが起るかもしれません。2003年は、その端緒の年になるような気がします。

(「市民プロデューサー通信」2002年12月30日発行第63号「黒ビールでも飲みながら…」)
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